8/5 の追加; 日本語・英語 | Haragurokoalaのブログ

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フランスへは2回しかいったことがないけど、彼らの誇るフランス語は英語よりも優雅に響く。

あの鼻に抜けるようなレイゾンだかなんだかは、大昔に発音の躓きで通信教育を断念させた。

 

何故か知らないが、中学生で英語を習ったことを思い出す。二つ上の兄のテキストをこっそり読んで、入学が待ち遠しかった。田舎の学校の英語教師は発音がメチャクチャだった。そして、ミナが嫌う英語の授業を盛り立てようとようと、授業の大半を漫談に費やしていた。不満を持った私はラジオで基礎英語を習い始めた。上達の早道は、ペンフレンドだと誰かに言われて、米国とお隣韓国に手紙を書いた。けれども、クラブ活動やギターに夢中となりいつした中断。高校では受験に全く役立たないシェークスピアの戯曲英語を調べていた。留学帰りの先生をつかまえて、英文添削をうけたこともあった。

大学卒業後、自費で単身米国西海岸などへ行き、メチャクチャな発音でもイントネーションでなんとか意思疎通が出来ることを体得した。だが、逆に彼らが日本事情に詳しいことが判ると、日本の基礎知識、歴史、文化を辺Bきょうしなおす必要に駆られ、同時に日本語のもつ奥深い魅力に気付くようになった。

 

日本語は、終戦時、ローマ字化にするといった暴論もあったようだが、文字の無かったやまと言葉と漢字伝来によるかな,カタカナの発明で実に奥ゆかしく繊細な言葉となった。

私は、理系コースを選択し、論理的表現に有利な英語を嫌でも使うことがしばしばだった。やがてワープロが一般化され、徐々に日本語入力環境が改善されていくうちに、日本語を習う外国人が如何に苦労するのかそれがわかるいようになってきた。

 

明治以降の国策は、和魂洋才といって、知識を西洋に求めていた。このため、これまで培ってきた豊かな日本語文化が無視される事態にもなり、文系理系の枠を越えた精神活動の根幹にも影響するよう感じられた。