タイトルと違って、事実としての過去は変えられない。
だがしかし、僕には変えたい過去が3つある。
おばあちゃんの危篤前にたくさん会いに行けず寂しい思いをさせたままお別れしてしまった事、受験期であたふたしてておじいちゃんの死にまともに向き合えなかった事、近しい人の苦悩に気づけなかった事の3つだ。
それらの事実は変えられない上に、これからもっと残酷な過去が増えていく可能性すらある。
だがそんな中で、僕がそれら残酷な過去を自分の宝と認識できれば、それは過去を変えたことにはならないだろうか。
僕がこれから「あの過去があったからこそ、僕はこの境地に立てたのだ。」と思える瞬間に出会えた時、僕の中で残酷な過去達に新しい意義が与えられるかもしれない。
ニーチェは「これが人生か、ならばもう一度」と思える瞬間があったならば、その人生の過去も含めて全てが報われると言う。
そしたら、僕はニーチェの言うその瞬間までいったい何をして過ごせば良いのだろう?
そこでまた別の先人の言葉が、僕に指針をくれた。
ドストエフスキーは、「私が恐れるのはただ一つ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」と言った。
なるほどそれならば、、、僕のやることは決まっている。
「ニーチェの言う至高の瞬間を目指して、真っ当に苦しむ」
それ以外にないじゃないか。