人と言うのは他人にイライラをぶつけがちだ。その行為は、醜悪なものだと思う。
他人を尊重せず、憂さ晴らしのための道具として利用しているからだ。野蛮な言い方をすれば、イライラして人をサンドバッグのように殴るのと全くもって同じである。
しかし、サンドバッグと違うのは、イライラを言葉で他人にぶつける場合、その醜悪さが見えにくくなる事である。
この醜悪な行為の達人達は、やろうと思えば第三者から全く気づかれずに、他人にイライラをぶつける事ができる。
例えば、人を見下したり、嘲笑ったり、弱いものいじめをしたり、または正当な糾弾の中に個人的なイライラを混ぜ込んだりする。そして僕自身がいつこのような達人になってもおかしくないと思う。
そんな自分の正体に気づきつつも目を背け続けるのは簡単だ。
そうなると、実際イライラを他人にぶつけるよりも罪深い行為だと思う。と言うのも、自分の中で悪事を働いている自覚が一切ない(或いは気づきながら無いものとみなす)状態で、実際には他人の尊厳を踏み躙っているからだ。
そうならないためにどうしたら良いのか。
結局は、「人が見ていないところで清く正しく生きられるかどうか」それに尽きると思う。