今回は少々観念的なお話をします。僕としては、一生学び続けるために、非常に大事な考え方かなと思うのでブログとして残しておこうと思います。



僕は自分が何かを学ぶ時、2つの段階で認知していると考えたので、ここで整理しておく。
それは、「まず戦略的認知が行われ、その後真理的認知に近づく」と言う事である。

戦略的認知とは、理性のみで理解し、経験の伴わない認知とする。これを応用すると、AIのディープラーニングの様に、真の理解は無いが現実問題に対処できると言う性質がある。

真理的認知とは、内容を理性で理解し、経験を通して感情でも理解できた認知とする。経験を通して納得してしている分、真の理解に近い。この段階の認知に至った概念は自身の血肉となっており、現実問題に応用できるだけでなく、まるで自分が発明したものであるかのようにその内容に精通している。

さらに説明を加えると、
今まで全く出会ったことのない新しい概念や気づきを学んだ時、初めに働く戦略的認知は、「これは良いものだ」と理性で理解し、記憶する事である。

その後、その概念や気づきを記憶に留めながら生きていくうちに、その概念があるからこそ見える世界を体験する。そして最後に、その概念や気づきの生まれた理由に感情で納得する。これが戦略的認知から真理的認知にグレードアップする瞬間である。

ここで気をつけなければいけないのは、両方の認知には短所があると言う事だ。それは、戦略的認知は未完であり、真理的認知は習得が難しいと言う事だ。

極端な例を出すと、僕がフランクルの夜と霧を読み、その後アウシュヴィッツサバイバーに会い(例え話でねw)、当時のあなたの心理は本で読んだので、詳細までよくわかりますと僕が言ったとしよう。相手は不快な気持ちになるかもしれない。なぜなら、僕の認知には経験が伴っていないからだ。日本の一般的な家庭で生活してきたお前に何がわかると思われても仕方ない。真理的認知をしていないくせに、軽々しくわかったと言うべきではないのだ。

戦略的認知は便利ではあるが、そこには経験がなく、まだ未完の認知である事を学ぶ側は忘れてはいけない。

また、真理的認知を得るには、戦略的認知を記憶に留め、それをもちながら世界を捉え直し、その上で戦略的認知が生まれた理由に納得する。(自分の中で再発明)そのプロセスを経て得られるものであり、一朝一夕で得られるものではない。

ものすごく簡単に言うと、
「知ってる」と「分かってる」の違いである。

そして養老孟司先生の言うバカの壁は、
戦略的認知と真理的認知を混同することで生まれるのではないだろうか。

知ってるだけの分野に対し、私はその全てを理解しているとふんぞりかえり、真理的認知に至ろうとする努力をやめた時、その人の前には壮大なバカの壁が立ちはだかる。