1970年後半から1980年前半にかけて、
確実に猛威をふるっていたAOR旋風
別にAORを目指していたつもりでないアーティストも、
時代の流れの中でAORの洗礼を受けていたケースがある・・・
そんなAORに傾いた曲を取り上げて、
「本当はAORを演奏したかったんじゃないの?」と勝手に空想して
アーティストにツッこむコーナー
「アンタ、本当はAOR演りたかったんだろ?」
今回ツッこまれるアーティストは・・・
リック・スプリングフィールドさんである
リックが最もAORに近づいた瞬間・・・
それが1982年にリリースされたアルバム「Success hasn't spoiled me yet」であった!

むほー!
我が家の3ワン隊ほどの可愛らしさではないにしろ・・・(←親バカ)
3ワン隊ジャケだ!
前作「Working class dog」が犬ジャケで大ヒットしたため、
連続ヒット祈願の犬つながりで、このようなジャケにしたのだろうか?
リック・スプリングフィールドはオーストラリアのシドニー出身の
ミュージシャンであり俳優である。
1969年に高校を中退てズートというバンドを結成し、
音楽活動を開始し、ローカルな人気を博す。
1972年にはバンドを解散してアメリカに渡り、全米デビューを果たす。
しかし、デビュー当初はレコード会社が倒産してしまったり、意見が合わなかったりで
くすぶった日々を過ごすことになる。
転機になったのは俳優業である
ルックスがよかったことから声がかかり、
1981年からアメリカのABCの人気昼メロドラマ「ジェネラル・ホスピタル」に
外科医ノア・ドレイク役で出演して一躍人気者となったのだ
気を良くしたリックは音楽活動の再開を決意
同年に久しぶりにアルバム「working class dog」をリリースし、
シングル「Jessie's girl」がなんと全米チャート1位の大ヒットになり、
グラミー賞の最優秀男性ロックボーカル賞も受賞したのだった
そして続く5枚目のアルバムが「Success hasn't spoiled me yet」であった。
これがまた、1982年という時代背景を踏まえ、
ハード目な音の中にもハーモニーやメロディーの中に
ところどころ顔を出すAORの息吹・・・
特にシングルになった「Don't talk to strangers」は
サビの部分のコーラスがモロAORであり、
キャッチーな1曲に仕上がっていた!
全米チャートも2位と大ヒットしたのであった。
むっはー!なんともメロウでいい感じですなぁ~
アルバムの中では「What kind of fool am I」や「I get excitd」なんかも
それっぽい雰囲気だ
リックさん、この後もハードながらメロウなロックという道を突き進み、
1984年にリリースされたアルバム「Hard to hold」なんかも非常にキャッチー路線で、
シングル「Love somebody」は全米チャート5位を記録するなどヒットした。
ロックながら、なんだかんだ言って、
AORフィーリングを感じさせるリックさん・・・
「アンタ、本当はAOR演りたかったんだろ?」
メロウな気配が・・・煤けてるぜ(←「哭きの竜」ばりに)

確実に猛威をふるっていたAOR旋風

別にAORを目指していたつもりでないアーティストも、
時代の流れの中でAORの洗礼を受けていたケースがある・・・
そんなAORに傾いた曲を取り上げて、
「本当はAORを演奏したかったんじゃないの?」と勝手に空想して
アーティストにツッこむコーナー

「アンタ、本当はAOR演りたかったんだろ?」
今回ツッこまれるアーティストは・・・
リック・スプリングフィールドさんである

リックが最もAORに近づいた瞬間・・・
それが1982年にリリースされたアルバム「Success hasn't spoiled me yet」であった!

むほー!
我が家の3ワン隊ほどの可愛らしさではないにしろ・・・(←親バカ)
3ワン隊ジャケだ!

前作「Working class dog」が犬ジャケで大ヒットしたため、
連続ヒット祈願の犬つながりで、このようなジャケにしたのだろうか?
リック・スプリングフィールドはオーストラリアのシドニー出身の
ミュージシャンであり俳優である。
1969年に高校を中退てズートというバンドを結成し、
音楽活動を開始し、ローカルな人気を博す。
1972年にはバンドを解散してアメリカに渡り、全米デビューを果たす。
しかし、デビュー当初はレコード会社が倒産してしまったり、意見が合わなかったりで
くすぶった日々を過ごすことになる。
転機になったのは俳優業である

ルックスがよかったことから声がかかり、
1981年からアメリカのABCの人気昼メロドラマ「ジェネラル・ホスピタル」に
外科医ノア・ドレイク役で出演して一躍人気者となったのだ

気を良くしたリックは音楽活動の再開を決意

同年に久しぶりにアルバム「working class dog」をリリースし、
シングル「Jessie's girl」がなんと全米チャート1位の大ヒットになり、
グラミー賞の最優秀男性ロックボーカル賞も受賞したのだった

そして続く5枚目のアルバムが「Success hasn't spoiled me yet」であった。
これがまた、1982年という時代背景を踏まえ、
ハード目な音の中にもハーモニーやメロディーの中に
ところどころ顔を出すAORの息吹・・・

特にシングルになった「Don't talk to strangers」は
サビの部分のコーラスがモロAORであり、
キャッチーな1曲に仕上がっていた!
全米チャートも2位と大ヒットしたのであった。
むっはー!なんともメロウでいい感じですなぁ~

アルバムの中では「What kind of fool am I」や「I get excitd」なんかも
それっぽい雰囲気だ

リックさん、この後もハードながらメロウなロックという道を突き進み、
1984年にリリースされたアルバム「Hard to hold」なんかも非常にキャッチー路線で、
シングル「Love somebody」は全米チャート5位を記録するなどヒットした。
ロックながら、なんだかんだ言って、
AORフィーリングを感じさせるリックさん・・・
「アンタ、本当はAOR演りたかったんだろ?」
メロウな気配が・・・煤けてるぜ(←「哭きの竜」ばりに)

