持てる力をすべて出し切るというのは、損得勘定しないってことかもしれない。
ここで出したら損だ、これくらいの力で十分だろう・・・なんてことを考えながら、力を加減しているうちにチャンスを逃すこともあるだろう。
損得勘定している時ほど、損が多くなり、得が少なくなったりする。
ここだ!と決めたら、力いっぱいに注ぎこむ。ぶち当たってみる。手加減、損得勘定はしない。
損得勘定して、うだうだと時間を遊ばせているよりも、行動してみて結果を早く見たほうがいい。
時間はどんどん進む。
全力を出しちゃもったいないと思っていた、自分の力なぞ、全力を出しても、かなわなくなっている事実に出会うことだってある。
子供のように、手加減しないでぶち当たる。
そんな瞬間があってもいい。
人が期待をかけるのは、そこに、それに、その人に、どれだけの思いを注いだかで違ってくる。
実際、たいした思いもないのに、期待だけはかけることもできる。
ただ、思いが、気持ちが、どれだけ強いかで、悲しみも喜びも違ってくる。
どうでもいいと思ってることに、そんなに悲しんだり、喜んだりできるように人間は出来ていない。
だから、深く悲しみたくないと思ったら、注ぐ思いを少なくすればいい。
そのことから、遠ざかればいい。
最初から、あきらめてしまえばいい。
けれど、そうやってしまえば、深い悲しみがない代わりに大きな喜びもきっとない。
悲しみばかり遠ざけて、喜びばかり近づけるなんて方法は、世の中にきっとない。
今回は目の錯覚画像を二つご紹介します。
街中を走ってる車を見ていると、たまに「どうしてこの色を選んだんだろう・・・」と思うような事ってありませんか?
それが感性の問題なのか、もしかして、その人には「何でこの色?」って色が自分が見ている銀、白、黒などの一般的な色に見えてるのかも・・・
という事は、自分が見ている赤や青は、他人が見ると違う色に見えてたりして・・・
自分が見ている「青」は他人が見ると「赤」なんだけど、その「赤」を他人は「青」って呼んでるかもしれない・・・
それであれば矛盾は起きない。見ている色が違っても、同じ色の名称で呼んでいればね。
では本題。
下の画像を見てください。
中央に向かって水色と黄緑の2色の渦巻きが伸びているように見えますよね?
でも、この2色は同じ色なんです。
「そんなバカな」と思う人は画像を拡大するなり、色を抽出してみるとわかります。
両方とも淡い緑色をしています。
これはムンカー錯視と呼ばれる脳の錯覚現象を利用したものだそうです。
もう一つ。
じっと見ていると4つの円が重なったり、螺旋(らせん)を描いているように見えませんか?
図形を指でなぞってみると、実際は同心円状に並んでいるのが分かります。
こちらはフレイザー錯視と呼ばれてて、イギリスの心理学者ジェームス・フレイザーが発表したパターン。
限りなく直線に近い鋭角を並べると角度が傾いて見えるという原理を応用したようです。
ネットを彷徨っているとこんなのがいっぱい出てきます。
アイドル動画も素敵ですが、たまにはみんなで「見えた」「見えない」なんてのも面白いです。
今日はメルマガからの引用です。
『読むだけで人生変わるラブレター』というメルマガ。
これは会社員の男性が、愛犬に書いたラブレターの紹介です。
『今、僕の愛犬が、闘病中です。犬の名前は、テツといって、
僕が小学生の時に拾ってきた、柴犬によく似た雑種の中型犬のオスです。
17歳を超える高齢なので、もうあとは、我々家族が近くにいて
見守ってあげるしかないと、獣医さんは言っています』
とのこと。
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≪ 埼玉県 和光市に住む28歳の男性より ≫
愛犬・テツへ。
捨てられてたオマエと出会ったのは、僕が小学5年の時の、
ある雨の日。
生後3ヵ月くらいだったのかな。
左の後ろ足をケガしていて、顔にはマジックでマユ毛が書かれてて、
信じられないことに、首輪がわりに針金が巻いてあった。
おそらく、足のケガも、心ない人間の仕業だと思う。
でも、そんなヒドイことをされているのに、
オマエは人間をキライにならなかったんだね。
僕を見ると、シッポを振って、飛んできた。
泥だらけの顔で僕を見上げて、「遊ぼうよ」って言ってるみたいに
舌を出してた。
僕は、やせっぽっちのオマエを抱いて、雨の中を走った。
絶対、母親に反対されるけど、家に連れて帰った。
その日から、オマエは家族の一員になりました。
ケガの後遺症で、足を少し引きずるようになったけど、すごく元気。
鋼のようにたくましくってことで、名前はテツになったんだ。
僕が受験に失敗した時も、そして、イジメにあった時も、
オマエはいっつも僕を見上げて、
「どうしたの?」「くよくよしないで!」「遊ぼうよ!」
って励ましてくれるように舌を出して笑ってた。
そして、たぶん、いつも僕にこう言ってたんだよね。
「人間を信じて。人間をキライにならないで」って。
そんなオマエも年をとって、17歳。
僕は学校を卒業すると同時に実家を出て、
一人暮らしをしながら頑張ってる営業の仕事が楽しくて、
オマエが病気がちだって聞いてたくせに、なかなか家に帰らなかった。
オマエは、オヤジやオフクロが僕の名前を口に出すと、
嬉しそうに立ちあがって、ソワソワしてたって聞いた。
会いたがってくれてたんだね。
だって、兄弟みたいだったもんな。
学校から帰ると、いつもドアのとこにいたもんな。
散歩に行って、いろんな冒険、したもんな。
いろんな話し、したもんな。
それなのに、久しぶりに僕が帰って、オマエの顔を見たのは、
オマエが腸の病気でいよいよ危なくなってしまってから。
衰弱しきって目も見えないのに、オマエは僕の声を聞いたら、
首を起こして、前足を、かくようにして動かしてくれたね。
まるで「遊ぼうよ!」って言っているみたいに。
オマエを抱きあげた。どれくらいぶりだろう。
軽かった。
びっくりするほど軽くて。
なんでこんなに軽いんだよ。
ごめん、テツ。
僕は今まで、オマエに教えられっぱなしだったのに、何もしてやれなくて。
今、人にもまれながら仕事してられるのも、オマエのおかげだよ。
ありがとう、テツ。
今まで、そばにいてやれなくて、許してな、テツ。
また、絶対に遊ぼうな、テツ。
僕はここにいるからな、テツ。
----- ここまで -----
私が就職で東京に出てくるときに、私の入れ代わりって事で犬を飼い始めた。
このラブレターみたいになかなか会いに帰れなかった。
結局、その犬の死に目には会えなかった。
おふくろが大泣きしながら電話かけてきたっけ。
オヤジが死んでも泣かなかったおふくろが・・・
おふくろ今は実家で一人暮らししてて、犬でも飼えって言うんだけど、別れる辛さを考えると飼えないってさ。
かわいい、癒される、だけではペットは飼えませんね。
どんなに辛くて悲しくても最後まで面倒を見る。
飼うならこれを覚悟しないと。
覚悟できなきゃ飼うな!
当たり前のことが当たり前じゃない世の中になってきてますね。
せめて自分だけでも真っ当でありたいと思います。

