3年前に50才代の女性から母へ書かれたラブレターをご紹介します。
「闘病の末、73歳で亡くなった母へ、娘として初めてラブレターを書きました。
阪神大震災の記憶とは、切っても切れない母でした」
とのことです。
≪ 大阪市 生野区に住む女性より ≫
お母さんへ。
また1月17日がやってきます。
あの日、阪神・淡路大震災から15年経つのを待たずに、あなたは天国のみんなのところへ逝ってしまいましたね。
大阪に嫁いだけど、もともと神戸市の東灘区出身なので、兵庫県に多くの肉親や友達がいたあなた。
たくさんの愛する人を震災で亡くし、また、たくさんの、震災で心が傷ついた人を励まし続けたお母さん。
震災当日、旅行で愛知県に行ってたことを、ずっと「申し訳ない」なんて言い続けたお母さん。
3年前まで、夜にはスナックに早変わりする喫茶店をキリモリし、がんばったもんねぇ。
震災直後から、被災者支援のボランティア活動に参加して、そこで知り合った被災者の方や、ボランティア友達も、たまに店に招いては精イッパイの食事をふるまって、ねぎらいの言葉をかけて、勇気づけていたね。
自分もリウマチで辛かったろうにね。
今年も成人式の季節だけど、何年か前に、新成人が壇上で挨拶している市長にヤジを飛ばしたり、突き飛ばしたりして妨害したというニュースをみながら、お母さん、こんなこと言ったやろ。憶えてる?
「あれほど成人式に出たいと願ったのに、出られずに死んでいった命を、私はいっぱい、目の当たりにしたんよ。
あの、成人式で暴れている子たちは、何が気に入らんのやろねぇ。
今、元気で生きてるという幸せ以外に、何が欲しいんやろねぇ」
震災で亡くなった、当時・中学生だった友達の息子さんの成人式を、震災6年後の時に、自分の店へご両親を呼んで、ささやかなパーティーで祝ってあげたお母さんだから、その言葉は本当に重かった。
そう、あなたは、未来のある若い人が、本当に好きだったね。
震災当時、交通網はいたるところで断ち切られていて、でも、お母さんは食糧や衣料の支援物資を、歩いてでも運ぼうとしたでしょ。
そんな時、店の近所でタムロしていた暴走族の若い子たちに、なんとお母さん、
「あんたら!
わけもなく走ってんのやったら、バイクにこの荷物を積んで、神戸の被災地に運んであげて。
ガレキだらけでも、あんたら若い子のバイクやったら行けるはずや。
行けるとこまでバイクで行って、アカンかったら、足で歩いて届けて!」
なんて、頼んだそうやね。
私、それ聞いてビックリしたわ。
でも、もっと驚いたのは、その暴走族の子たちが「うん、分かった」って言って、それから毎日毎日、仲間も連れてきて、支援物資をバイクに積んで運んでくれたこと。
あの子たち、だんだん顔つきが変わってきて、
「おばちゃん、俺な。生まれて初めて、人に感謝されてん。
被災者の人らな、自分らが大変やのにな、『兄ちゃんら、事故せんように気ぃ付けて帰ってや。ありがとうやで』って、こんな俺らにな、何回も頭下げてくれんねん」
って、照れながらもホンマ嬉しそうやった。
あの子ら、あのあとすぐに暴走族を辞めて、仕事しだしやったもんね。
店にバイトに来てくれたりもしたね。
なんと、リーダー格の矢野くんは今や三軒も店を構えてる美容師の先生やもんねぇ。
みんな、お葬式に駆けつけてくれたんよ。
お母さんに怒られた話ばっかり、してやったわ。
あなたの思いは、あなたの心は、私たちに刻まれているよ。
確かに、あの子らに受け継がれているよ。
お母さん、ありがとう。 そして、お疲れ様でした。
ゆっくり休んで下さいね。
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このラブレターは阪神大震災にちなんだものです。
1995年・平成7年の1月17日に発生した阪神大震災は、今年で18年を迎えます。東日本大震災などと共に未曽有の大災害として、決して風化させてはいけない出来事です。