すっかりブロードバンドの時代になった。ネットで何でもできる。ネットの便利な仕組みにメールがある。メールに何MBという大きなファイルを添付しても何等ストレスはない。大変な進歩である。

 メールを使わないと、仕事ができなくなっている。そして、メールを使えば、どこにいても仕事ができる。プロポーザル作成などメールが使えればこそ、書き手をホテルに缶詰めしないでもよくなった。

 まして、アメリカと共同作業するときは、時差まで味方してくれる。夕方に原稿を送っておくと、翌朝reviseされた原稿が届いて、24時間休みなく作業できる。

 こんなに便利になったネットとメールであるが、同時に影の面も大きくなりつつあるような気がしてならない。例えば、仲間が何人いても困らない。単に「全員へ返信」とやればよいのである。これで、全員の共通理解が得られるとしたら、簡単である。共通理解とはそんなに簡単なものであろうか。浅はかな誤解、錯覚、あるいは思い込みであるのかもしれません。

 もうひとつの問題はバージョン管理です。メンバーの一人が、リーダーが優秀で後はオレに付いてこいと言う場合は、問題なしです。しかし、集合知はきたいできません。Wikipediaのような集合知を期待するとしたら、責任感のあるEditorが必要だと思われます。Wikipediaは、成功例のひとつであることは確かですが、まだ発展途上です。拡大を続ける場合はよいのですが、簡潔にまとめようとすると、本の場合の作者に対する編集者の役割が不可欠になると思われます。

 ここで、云いたいのは、もっと簡単なことです。本記事のタイトルをメールの作法、名は体を表わす、としましたが、メールを送る場合、わざわざアドレスリスト、宛て先とCcとを書くよりも全員返信が簡単です。それでいいのでしょうか。もっと問題なのは、返信とすると、タイトルの先頭に、単にRe:が付加されます。そして、届いたメールのタイトルが機械的に繰り返されます。こんなプロセスを2,3度繰り返すと、タイトル、または件名、Subjectがメールの内容と乖離してしまい、タイトルの本来持つべき意味がなくなってしまいます。編集しようとしてメール一覧を見ても適当な内容を検索できなくなってしまいます。全文検索できるからいいや、という考えもあり得ますが、それでいいのでしょうか。これが、本記事の問題提起です。

 「名(Subject)は体(Body TextのContents)を表わす」と云われます。今一度原点に戻って、真剣にタイトルを付けるべきではないでしょうか。メールの作法、ネチケットなどネットでも容易に見つかるはずです。ここでは、いささか古い本、江下雅之「緊急指令!電子メールを活用せよ」技術評論社('95/4月)を見ました。'95年と云うと、パソコン通信と云っていた時代です。回線はブロードバンドになったものの本質は何も変わっていません。まず、名は体を表わす、と言えるよなタイトルを付けませんか。それが、ネットの、メールの作法と云うものです。もちろん私自身それができているとは申しません。しかし、その方向で努力はしたいと考えております。

 ネチケットとか云っても、その基本は実社会と同じです。相手の立場を考え、読み手のことを慮ってメールのタイトルを付けるのが大切ではないでしょうか。

 以上、思いつくまま所感を記しましたが、少しでもご参考になれば幸いです。また、コメント頂ければこの上ない幸甚に存じます。