以前僕は、当ブログで2011年台湾で行われた四大陸選手権での浅田真央さんの演技について、最後のポーズが長崎平和公園にある、核なき世界を祈念して建立された平和像に似ていると記事にし、被爆者として生きた父のことに触れました。


生前、僕は父親から一度だけ被爆体験を聞かされた事がありました。


当時、父は中学生で長崎市内の軍需工場に学徒動員の少年工として働いていました。戦況は悪化し無差別爆撃により日本各地の地方都市は焼け野原となり本土決戦が叫ばれていたおり、多くの下級生は親戚や田舎へ疎開したそうです。


僕の父は、徴兵された兄に続き中学を卒業したら自ら志願して兵隊になると決めていたそうです。そう言う考えだったからか、長崎に原爆が投下され時、学校が休みにも関わらず工場で働いていた時に被爆したと聞きました。爆風に飛ばされた際に左顎を骨折、陥没した頬の傷跡は家族以外の人には決して見せる事はありませんでした。現在ならば、プレートか何かで見た目には分からないようにするのでしょうが、何分戦後の事ですから整形医療は儘ならなかったんだと思います。父が亡くなり、喉仏を探していた時に左顎の骨だけが欠けていたのを今でも鮮明に覚えています。


生前、頑なに被爆体験を話したがらなかった父が何故一度だけ僕にその話をするきっかけになったのかと言えばアメリカに対する思いに多少の変化があったからだと思います。以前にも当ブログに書いたと思いますが、父の妹、僕にとっての叔母ですが、彼女の夫は米軍佐世保基地所属のアメリカ人で、クリスマス休暇の年末に軍が休みの時は長崎の父の所に良く遊びに来ていたのです。その時に限って父がよそよそしい態度をするものですから母に咎められていました。そんな母も原爆で多くの親戚を亡くしています。母の兄妹家族の墓石には同じ日付の命日が記されています。


その叔母とアメリカ人の夫の間にかわいい女の子が産まれた時に、米国へのやり場の無い複雑な思いを変えなくてはいけないと考えるようになったのだと思います。



今回初めて現職の大統領としてオバマ大統領が広島を訪問する事が決まりました。あくまで被爆者を弔った者として個人的な意見ですが、原爆資料館でその実相に触れ原爆の犠牲で亡くなった方への哀悼と今も後遺症で苦しむ被爆者の方達の体験談に耳を傾けて欲しいと願っています。がしかし、原爆投下に対する事だけへの謝罪などして欲しくはありません。



真珠湾を奇襲したから始めた戦争を原爆が終わらせたなどと言うプロパガンダはウンザリです。戦闘員や軍事施設への戦略爆撃と一般市民を狙った無差別爆撃の意味合いは全く異なるのは明らかです。


ジュネーブ条約が禁ずるのは、非戦闘員への意図した攻撃。1945年3月10日の東京空襲には米軍内ですら異論があったのは、すでに公文書が公開されています。さらに人口密集地に対する焼夷弾攻撃の効果はすでにドレスデンで実証されていて、効果に知見が無かったと言い逃れはできません。



それゆえ、米国はどうしても東京裁判をやる必要があったのです。何故なら日本側から提訴されたら負けるのは簡単に予想できますから。その米国の必ず負ける提訴を阻止するための条項がサンフランシスコ平和条約の東京裁判容認条項でした。(何が平和条約でしょうね、連合国側の偽善の賜物です。)

日本が受け入れたのは、あくまで明文化された条約であって、連合国のプロパガンダに基づく偽善に満ちた正義ではありません。


東京裁判は普遍的正義に基づく裁きじゃありませんでした。勝者による敗者への懲罰の意味合いが強い裁判なわけで、日本への無差別爆撃や原爆投下を企画立案したマクナマラが後にドキュメンタリーの中で、この戦争で負けたら自分たちは戦犯として裁かれるだろうと思っていたと告白してるように、当時の米国側関係者は、戦犯として裁かれることの意味をよく理解していたはずです。ですが、今でもそのアメリカ人の半数以上がすっかり、原爆投下が多くの命を救っただの、戦争を早く終わらしめたなどと正義史観のプロパガンダに洗脳されています。



核なき世界へのメッセージを広島で発する事でレガシー作りの政治利用などにして欲しくありません。広島・長崎だけではなく日本各地に無差別爆撃をした事、非戦闘員である一般市民への爆撃は明らかな戦争犯罪です。あの当時に原爆をはじめ一般市民を狙った無差別爆撃の命令した当時のトルーマン大統領や軍関係者の判断が間違いだったと認めて、靖国の英霊の前でこうべを垂れ哀悼の誠と核のない世界の実現への誓いを捧げて欲しいばかりです。










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