実に「モスリラ」以来2年ぶり?
朝日アートスクエアに向かう途中でみたスカイツリー。
所詮、東京の田舎者。こんな所に建ってるんだーってなり写メりました。
「風にゆれる、そっと見てる」
エレベーター上がって、ドアを抜けるともうそこには、左手に舞台と、右手に客席。
ここって、こういうふうにも作れるんだ…って思いながら、トイレに行って、客席の裏側に当たるところに、丁度パンフの売り場と、お花を飾ってあるコーナーとか、奥には例のお飲み物(今回は有料でしたw)があったりして。比較的ゆったりした会場作りになっているなーという趣。
直也さんのブログにあったお写真のとおり、舞台は下手に出っ張りのある変形です。その奥からも、役者さんたちが出入りする、わりとオープンな作りですね。
今回のお芝居。
アメーバのプレミア放送であったとおり、直也さんの役どころは本当に?でした。
しかも、2時間弱の芝居の中で、直也さんの台詞はたった2言。
でも、色んな表情が見られて、それはそれで楽しかったのですが…。
こういう役が回ってくる年齢?になったっていうことなのかなって思ったり、正直周りできちんと芝居を成立させてくれる役者さんたちがいるから、成り立つ役なのかなって思ったりしました。
物語は、動物園で過ごすの飼育員の機微を中心に描かれていて、その中には、色んな人がでてきます。象の主任飼育員だったけれど、その象に怪我を負わされ職場に復帰できずにいる男、その男と同棲中の、現主任?の立場の飼育員。飼育体験者にきた男女、飼育体験のままバイトとして居残っている女の子、獣医、事務員、動物園コンセルジュ、結果として作家になった動物園OG…。
みんなそれぞれの立場で、動物と、人間と関わってます。
で、直也さんの役。
観る人によってたぶん色んな捉えられ方をするんだと思います。
一つは「動物園の前に捨てられた成犬」
そして、もう一つは「娘を捨てた父親」←たぶん、死んでるよね、この人?
飼育体験以降、動物園にそのまま居残ってしまった形の「娘」には、どうも「捨て犬」の背後に「父親」が見えるらしい。
父親という人は、いつも血まみれで家に帰ってきては、またどっかにふらっといっちゃっう。そうして家に帰ってこなくなっちゃって、結果15才の時から娘は一人で生きている。生活費だけが振り込まれてくるのは唯一の生存確認。
そんな大学生になった娘は、カメラを生業にしたいと思っている同棲中だった先輩から結婚話を持ちかけられて、どうしたらいいか自分自身の気持ちがわからない。一つは、彼女には「家族」という枠組の中で育った経験がないから、自らが家族を作っていける自信がないという不安。そんな不安からか、同棲中の家を飛び出し、動物園の中に観察と称して泊まり込むようになった彼女の目の前に、いなくなった当時の格好で、血まみれの男が見えるようになる。
男も、捨て犬も、何も言わない。ただじっと見つめているだけ。そんな愛情もあるのかなって思わせる、犬の佇まい。
最終的に、彼女は「父親」の「言葉」を聞いて、そして、彼の大々的なプロポーズを受け入れたことで、「父親」は彼に娘を任せる形で、娘の前を去ってゆくのですが、同時に捨て犬も貰われて動物園を去って行きます。
そんな風に、ひとつの職場の風景を切り取ったお話ですが、人と動物の、命の重さとか、愛情の傾け方とか、双方向のやりとりのジレンマや、アンピバレンツみたいなものを感じた作品でした。