自主練の時間です。
自分で思うより、上手くできてなかったね。
頑張って!
小さいことだけど、ほんの少しのズレや、ほんの少しの甘さが、全体を壊してしまうところが、集団太鼓の悲しさです。
ユニゾンの美をまたいつか味わいたいね。
小さいと言えば。
パンダの赤ちゃん死んじゃったね。
残念。
Twitterで、いろいろな意見が飛び交っていたよ。
パンダなんかより、福島の方が余程大変とか。
パンダなんかより、政治が大変とか。
パンダなんかで、ギャーギャー騒ぐなとか。
でもね、悲しかったの。
あのパンダには希望がいっぱいだったもの。
放射能汚染が心配される中で、無事にお腹で育って、ちゃんと生まれてきてくれて、これから愛くるしい姿を見せてくれるんじゃないかって、期待があったもの。
ひとは、希望で生きて居ると思うの。
それは、明日も目が覚めて、美味しい朝ご飯を食べる希望。
学校に行って友達に会える希望。
愛するひとが起きてきて、おはようって言って笑顔をくれる希望。
疲れて帰って、美味しいビールを呑む希望。
あったかいお風呂で鼻歌まじりにリラックスする希望。
ほんのちょっと希望が持てたら、ひとはもう少し生きようって思うんじゃないかな。
小さな命が消えてしまったことに愁いが持てないひとが、他のことについて、大変だくそだと言っても、なんの説得力もない。
小さいことに心痛めるひとは、他のことにも同じく、心痛め、愁い、思い馳せていると思うのですよ。
簡単にひとの感情や想いを、非難するものではないんじゃないかな。
命が失なわれるのは悲しい。
大きくても小さくても、近くても遠くても。
それは自然な感情。
私はそう思います。
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