今週も本を読み上げました。
読んだ本は「吉村昭」の「落日の宴」です。
この小説は「川路聖謨(かわじとしあきら)」を縦糸に幕末の外交を横軸に描かれています。
彼は幕末において勘定奉行や海防係をつとめ、下級武士の幕吏としては異例の出世をとげました。

 


彼は出世スゴロク上最高の地位とも言うべき勝手方勘定奉行の首座になった時、次のような自戒の言を記しています。

「御役威に、なづむべからず。金銭になづむこと素(もと)よりあるべからず。
縦令(たとえ)今死候とも、正理を踏可申事」

また同時に川路は、最高の地位に就いたからには将来の左遷もありうるとし、その際の身の処し方を覚悟している。
事実後に将軍後継問題をめぐって、紀州派の大老・井伊直弼によって一橋派として左遷された時、
川路は実に冷静沈着に自らの処分をうけとめた。
確かに今問題とされている官僚の生き様を、歴史に投影した小説として話題性にはこと欠かない。
さらに本書の四分三を占める川路とロシアの使節プチャーチンとの嘉永六年から翌年に
かけての開国をめぐる交渉過程それ自体が、現在も始終行われている国家レベルのあるいは

企業レベルの様々な交渉過程に即座にオーバーラップされる。
しかもそのことにより、実に生々しい駆け引きの場面を含めて、
川路たちの交渉に臨む際の息づかいがはっきりと聞こえてくる。
圧倒的な軍事力の差を感じながら、プチャーチンとの交渉をくり返す川路の識見と判断力は見あげたものと言わざるをえない。
同時に川路を始め、阿部正弘、徳川斉昭、堀田正睦、井伊直弼といった幕閣の輪郭が、
是非は問わずはっきりとしていることに気づく。
たとえ進歩的であれ保守的であれ、自己の意見形成に皆意欲的だ。
そんな川路の家庭生活に及んで、数度の不幸な結婚生活のあげくにようやく迎えた
妻佐登との折に触れてのエピソード的な描写は、何ともほほえましい。
プチャーチンから返礼として柄が象牙の女用日傘を贈られた川路は、
「これは、わが妻は江戸一の美人也とて、早く帰り度きよしを申したること有れば、それ故に贈りたるべし」と
日記に記したという。
「司馬遼太郎」と異なった「吉村昭」の歴史観が読み取れる気がします。