覆水盆にかえらず
世界の理に敗北を認めるのも 悔しくて
引力に逆らうように 後ろを振り返る
雑音を掻く
その冷たさに爪先が削れる、喉がひりつく
熟れた柿のような寒空に
芳醇な太陽が見えた
食べてやらなければ
やがて腐ってしまう
地下鉄の駅は 今日も同じ匂いがする
階段を駆け下りる
銀の時計に 手首が切り落とされそうだ
捻れたネクタイに 首が絞め落とされそうだ
足りない狂気
遠い夏の日に カブトムシを踏んだ
口の中に 丸々肥えた飴玉を 遊ばせたまま
赤い血は 流れなかったのだ
あれは キンキンに冷えた西瓜を 丸ごと落としただけだ
肺いっぱいの
生と死の匂い
この体を巡っていた風
餅を食って死んだ爺さんを
隣人が笑った
丸餅に黒い醤油を垂らして
こいつの口に詰め込もうと思った
引きこもりの兄の丸い背中には
羽が生えるように 鈍い色のナイフを二本刺そうと思った
太陽熱に溶けてしまうかもしれないけれど
それならそれでいいのだ
それでいいから
水溜りに溺れる ひとりぼっちの蟻に
花を手折って差し向けた
たちまちに花は萎れた
蟻はあまりに必死に茎を登るものだから
可哀想になって殺した
これが弱いということか
これが弱さというものか
私に足りない狂気が
心臓を強く叩いた
すぐに吐いてしまうのに腹が減る
いよいよそろそろ心を失って
私の中の足りない狂気が泣き喚いている
丸く丸く金は縁を繋いで
その冷たい輪に私は囚われているのだ
どんな願いでも叶えてくれるらしいが
私に何も望みは無かった
カブトムシも蟻も花も西瓜も爺さんも兄も死んだ
悲しいことに
振り返っても何も無いのだ
進むしかないのだ
大人になるしかないのだ
心臓を強く叩くのは
忘れていた狂気だ