息子が1型糖尿病を発症してからの経験を基に親の立場で思ったことなどを発信していきたいと思います。
まずは発症した時の様子から。
2012年6月
息子の英輝はスタンフォード大学の中学生向けの算数のサマークラスに参加するために
一人成田空港からアメリカ、サンフランシスコに向かいました。
サマースクール終了に合わせて家族で旅行するために我々もサンフランシスコに向かいました。
空港で落ちあいホテルに向かいましたが、サマースクールは楽しかったと言うものの、
出かけないで休みたいと元気があまりありませんでした。
この時点で、既に発症していたのかもしれません。その後も、定番の観光地を巡る旅行を続けていました。
2012年7月8日
スタンフォード大学へ行き、サマースクールの場所などを案内してもらい、著書「20歳のときに知っておきたかったこと」で当時日本でも知られていたTina Seeligに会いに行きました。その時、やたらとトイレに行く回数が多く、のどが渇いたというようになりました。今思えば症状が出ていたのでしょうが、その時点では異変には気付いていませんでした。
2012年7月9日
家族でヨセミテ国立公園へのツアーに参加する予定でした。
しかし、英輝は夜中から嘔吐が続いたので参加を止め、
加入していた海外旅行者保険の会社へ連絡し病院を紹介してもらいその病院へ向かいました。
そこのドクターは、英輝を診てすぐに、ここでは対応できないのですぐに大学病院(UCSF)へ行くように言い、
タクシーを用意してくれました。お金のことは気にしなくて良いと言って。
(救急車ではなく何故タクシーかはまたの機会に)
このドクターの判断には感謝しかありません。
タクシーはUCSFにERに横付けされ、すぐに診察が始まりました。
しばらくすると、ナースから説明がありました。(アメリカでは普通なのかもしれませんが、
ドクターに会うことはほとんどなく、ほどんどのことをナースがしていました。)
ナースの説明で糖尿病であることが分かりました。
その時、私はナースが言っていることは分かるけど、理解が出来ないという状況でした。
当時の私は、1型糖尿病のことは知らず、糖尿病と言えば生活習慣病の太ったおじさんというイメージしかなく、
12歳でしかもどちらかと言えば痩せている(当事は)、英輝が糖尿病であるはずがないと思い、
この人は何を言っているのだろうと思っていました。
なかなか話がかみ合わないので、電話での通訳サービスを使うことになりました。
さすが、移民の国、アメリカです。英語以外の言語に対応した通訳サービスがあるのです。
その通訳を介してようやく理解が追い付いてきたのでした。
続きは次回に。

