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OldLionの備忘録

年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。
いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。
そんなライオンになるための日進月歩。

私のスタートアップの友人がベンチャーキャピタルに就職したという。彼らがなぜベンチャーキャピタルにキャリアを選ぶのかが知りたくて話をしてみたところ、曰く「今はAIによって無限の領域が広がっている。防衛や宇宙の領域が熱い」とのこと。このようなところ、テーマの抽象度が高いスタートアップが沢山できてきたように思うし、この流れはここ数年間個別のユーザーの課題解決により資金調達をしてきたスタートアップだらけであった頃とは様変わりしてしまったなと感じる今日この頃である。

 

ふと疑問に思うのは、彼らは資金調達した先でスタートアップが何者になるかという想像力を持っているのだろうか、ということだ。第二次世界大戦に大量の軍用車を投入したのがフォードであったし、IBMやらトヨタやらである。これは極端な例ではあると思うが、宇宙にせよ農業にせよITにせよ、アクセスできる人間から市場を作るという営みは等しくアクセスできない人間の何らかの権利を剥奪する可能性がある。

特に昨今の情勢の中では、米中対立が強まる中で自分たちの陣営が強化されるように商材は強化されていく。ハイパーグローバリゼーションの理想(インターネットが無限に可能性を拡げていくという理想)は国家や地域の連帯の前に今新たな限界を迎えているし、その限界に対して無頓着・無関心である人たちにとって、今現在のスタートアップブームの深層の出現は無邪気に市場拡大に見えるように思う。

 

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ソフトウェアSaaSのブームは一旦頭打ちになったという見方もある訳だが(真相はまだわからない)、彼らの一種の理想は民主化であり、世界平和であり、規格の標準化であったと言える。これは国家主義に陥ったスタートアップストーリーとは真逆である。言語はボタンひとつで切り替えられ、世界標準のカスタマーサクセス規範が存在し、プロダクトマネージャーはデザイン思考に則り顧客ニーズを発掘する ー API・インターフェイスは世界に向けて開け広げられていて、プロダクトの価格は世界標準で決まっている。あとは顧客がいかにこのソフトウェアを使いこなすだけだ。

 

GoogleやAWS・Microsoftの基盤の上にあらゆるソフトウェアは展開される。その思想の肝は、世界の全ての負の課題を解決することである。

 

今だからこそ思い出されるが、(当事者として主観的に)この数年間の日本国内のSaaSキャリアには希望がなかったと言えると思う。新しいニーズは一通り掘り起こされ、Product Huntを見ればありとあらゆる先行事例が米国市場で試されているし、ソリューションリッチ・イシュープアが世界で巻き起こっていた。だからあらゆるマイノリティ対して専用のSaaSやツールがあてがわれていたし、PoC合戦が世界各地で巻き起こっていた。

 

この世の中は、マイノリティに対して徹底的に優しい社会であり、多様性が敢えて言葉を選ばずに言うなら跋扈するようになったと思われる。

 

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私は平成元年の生まれで、現在36歳である。ちょうどミレニアル世代にあたるわけだが、私たちの世代は「絶望」と共に生きた世界であったと思う。

シンジは乗りたくもないエヴァ初号機に乗せられ、殺したくもない使徒を自らの意思とは裏腹に打ちのめさなけばならない姿は、援助交際に勤しむなめらかな地獄を生きる女子高生と重なるし、受験戦争のプレッシャーから引きこもるしかなかった子どもおじさんを彷彿とするし、家族との時間を犠牲とすることで家計を成り立たせた就職氷河期の世代が上の世代であった。

 

彼らの思いを代弁したいと思っているのが、今平成にちょうど生まれた我々の世代ではないかと思うし、逆に言うと上の世代の生き方や働き方に、少なからず疑問を持つ人間も多かったのではないかと思う。(3・11のタイミングでは、自民党一党体制の限界と共に日本の経済神話に限界が見られ、民主党に希望を抱くものも少なくなかった。)

 

私たちがそれぞれ生きやすさのようなものを今令和の世の中で選び取っているとすれば、まさにそれはテクノロジーのおかけであり、個人主義が成り立つことによるものであると思われる。

 

そして平成から令和に向けて、私たちは多様性への配慮と責任の分散の名の下に、リソースを集中し切れない状況が続いている。社会全体のナラティブが独善的な振る舞いを正すような警察性を持っていて、正義は民主主義にありという状況が続いていた。

 

 

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ここまで話が飛びに飛んだが、今起ころうとしていることはリソースの分散ではなく集中であり、それは今まで無邪気に広がってきた個人にフォーカスを当てた経済とは重点が変わっていくことは間違い無いだろうと思われる。

 

一方で、Open AIをはじめとしたツールは他人とのコミュニケーションを必要とせずに個人のアウトプットを最高にするという意味合いで、個人主義の最終到達点であると言っても過言ではない。

 

この2つのベクトルが曖昧に混じり合い、どちらに向かうのか決めかねているのが現在なのではーと思うのである。

 

成熟した民主主義国家が個人へのパースペクティブを維持したまま全体性を取り戻すことができるのか、それとも今まで築き上げてきた個々人への眼差しは全体主義の中で脆くも崩れ去るのか、今非常に微妙なバランスの中で行き先を見つけかねている。