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OldLionの備忘録

年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。
いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。
そんなライオンになるための日進月歩。

私が学生だった頃。それは今から10年ちょっと過ぎ前の頃になるのだが、その頃には私たちは青かった。何より、世界規模の課題に対する解決法を考えていく場に入れることがたまらなく楽しかったことを覚えている。これは共感してくれる人もしてくれない人もいるように思うけれど、私は貧困というシステムを知りたかった。

 

石井光太さんの「絶対貧困」が大学一年生の愛読書だった。1日1ドル以下で生活するという捉えどころのない絶対貧困をシステムとして捉えているところが衝撃だった。例えばレンタルチャイルドがどんな斡旋を行われているのか、マンホールチルドレンについて、乞食たちのランク分けについてなど。彼らは私たちと社会のシステムが違うだけで、実はそこに生きる人たちは生き生きとした生を生きているのではないか? そんなことが知りたくて、大学では東南アジア研究を受講し、そしてインドネシアで働くという転機を掴んだわけである。

 

「ドーナツ経済学が世界を救う」の著者が本の冒頭に書いていたのだけど、既存の経済学の枠組み、開発経済学は私たちを満足させるものではなかったことを覚えている。トリクルダウン・アジア通貨危機の国際貿易考察・国際分業体制・ゲーム理論など、経済学が取り扱う事柄はとてもマクロの金融を取り扱うものばかりだったが、そこに住む人たちの生の声を反映したものでなかった。そんなものは社会学部で勉強せよと言われているようなものだった。

 

東南アジアで生活をした4年間は私にとって宝である。なぜなら、彼らの息遣いを感じられる瞬間の連続だったからだ。モールと貧民窟が隣り合わせとなっている場所、一回500円の床屋、ハーレークインが闊歩する場所。最高だったと思う。今でこそ完全に日本に同化し、IT企業かぶれしている私だけれど、国際経済の一端の中で価値の交換に携わっていたいと強く思う。

 

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この10年間の変化については、目を見張るものがある。社会が圧倒的にリベラルに傾向する中で、誰もが社会参加し平等な権利を主張できるようになった。それは裏腹に、他者が他者であるというアイデンディティや可能性が、経済合理性に回収され、出番が少なくなっていることを意味している。例えば女性であっても働くことが可能であるということは、女性が今まで培ってきた文化(主婦コミュニティや家事を乗り切るための処世術・母としての役割など)をある種既存の物語に回収されない異色なものとして取り扱うことを意味する。逆に言えば男性側の培ってきた文化(飲み会・ゴルフ・出世・家族からの嫌味)も異色になることを意味する。

 

出産育児には一緒に参加し、収入はダブルインカムが望ましく、そして障害者雇用の門戸は広げられ、低所得者に対する給付はより手厚いものになる。それを支えるのはテクノロジーであり、誰もがやる気さえあれば均等な機会にアクセスすることができる。ハローワークではウェブマーケティングやデザインを教え、どこでも食っていけるスキルは益々平準化されていく。

 

リベラル化による社会の変化についてはもっと書きたいことは沢山あるが、最も強く感じるのは途上国の文化や内情に関する情報発信がほとんどされなくなったことだ。ミャンマーのクーデター・バングラディッシュのSNS革命など、空前絶後の事態が起こっても誰も掘り下げて考えようとしない。誰もが米国に目を向けてシリコンバレーの金稼ぎのノウハウを吸収するのに必死だし、そのやり方が黄金律として平準して使えるものだとして沢山のノウハウが共有されている。大きな国際秩序が出来上がり、アメリカを中心としたピラミッドが構築されていて、まだ回収されていない物語は「市場」として再発見されることを促される。今や起業家コミュニティやVC一派は起業家の輝かしい経歴と他の人にはない原体験を求めているし、起業家の側も自分がいかに「回収されていない原体験」を持っているかをアピールすることに必死だ。断言できるが、もうそんな金になるのに見過ごされたアイデアは存在しない。起業家は疲れ果て、VCも自分を大きく見せることに必死で膨らんだ風船は歪なものになっている。

 

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しかし、今までリベラルな社会の違和感についてばかり言ってきたように思うが、別に私は右傾化しているわけではない。保守でもない。なぜなら、この大きなスタートアップエコシステム自体は、機会を最大化できるようにデザインされているので、相対的に途上国に対しても大きな市場機会を提供しているからだ。

具体的には、ディープテックスタートアップが大きな資金調達をし、途上国に対して進出を真剣に検討するケースが少しづつ出てきているからだ。日本の技術を通して大きな社会課題を解決するという、私が学生の時に描いていた理想は、色々な形でスタートアップのプロによって解決に向けて動き出している感がある。結果を見れば、これは隔世の感があるし、素晴らしい世の中になったと思うのだ。

 

だが一方で、彼ら(起業家)と話をしてもちょっと違和感があるのは、やっぱりどの国の多様性を目に入れるわけでもなく、市場・エコシステムとしてフェアに評価している点である。彼らは頭が良いが、人間らしい面白み(知識をもつ意味ではすごいけど、バランスを崩していないという意味で)を感じない。可能性にベットする、現状から何かを変えていくのだという熱量ではない何かを感じる。

 

私の生存戦略としては、このスタートアップエコシステムに全力でベットしつつも、そこには回収され得ない物語の中で生きることだと思う。それはおそらく全然簡単でないし、人間の中身をごぞっと入れ替えるくらいの感じで行かないといけないんではないかと思うのである。