通称尾木ママが書いた著書。
現代の競争主義的な教育を否定し、子供たちの自発性を高めるために批判的思考力や論理的思考力を身につけよう。そのためにはヨーロッパの国々を見直し、本来あるべきゆとり教育の方向性を見直そう、という本。
正直本全体が、自発性を養うために、教師が「あるべき」姿を尾木ママがめちゃめちゃ厳しく規定している(いじめとかが無いように、徹底的に生徒に気を配るけど、過度に正解を教え無いように距離感を持つように)時点で、教育改革の本質を見誤っていると思う。問題は、先生が生徒のことに気を配れないくらい忙しく、自由が認められないことで型にハマってしまうことで、教育に柔軟性が失われていることのはず。そこを先生の問題みたいに言っている節がある。なんか全面的に反対。
どうしても、一言言いたい。
そもそも教育に期待しすぎていないか?
カリキュラムは人間が社会に出た時に共通の知見や常識を形作る役割を担わせる。だから日本の強みでもあるけど、ある程度誰が役割をになっても最低限度の社会性を期待できるし、それが日本の国力として評価されてきた。正直それ以上の意味を持たせたところで、マクロで見て経済力が回復する訳でもなければ、人類の正解に早くたどり着ける訳でも無い。(もしそうなら、とっととアメリカが没落していても良い)ただ、個々人が社会的に生きることを学ぶのだ。逆にそれ以外の部分、個性とか専門性とか興味とかは、学校の課外で身に付くはずだ。
そうで無い側面もある。もちろん学習を通じて興味をもったりもする。だが、その分野の第一人者でも無い教師から新しい「興味」を掻き立てる話をできると思えない。ITの話とか、哲学の話とか。そんな社会の変化に柔軟に対応できない教育で学生の「自発性」を引き出そうなど傲慢甚だしいと思う。なれるとすればファシリテーターとしての役割くらいか。
だから、学校である程度の基礎的な教養を知識として教えることには意味がある。優等生とは、「社会的通念を身につけている」人々だ。だから別にある分野で優秀な訳でも無い。優秀である必要も無いのだ。
教育は生徒の自発性を育み社会の礎となることは疑う余地がないー
その根拠を聞きたい。僕にはわからん。
自発性を育てるなら大学っぽいゼミ形式にした方が良いだろう。それに対応できるだけの先生やカリキュラムの柔軟性、社会通念の変化に合わせた分野の更新ができているならばいうことはないと思う。