工女の苦悩と対をなす希望 | OldLionの備忘録

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年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。
いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。
そんなライオンになるための日進月歩。

工女は、酷使されてボロ雑巾にされて故郷に返されたという側面は確かに存在していた、

それは特に食事や、過労というよりも病気に関して多かった。先日挙げたが、トラホームや腹膜炎、そして明治の初期は性病などを患った。そして結核が一番たちが悪かった。狭い作業場ですぐに感染してしまうからである。その時にはすぐに実家の家族に引き取りが呼ばれたりした。100人規模の工場で2人から3人は年間に病死者がでそうで、またそれ以上に天竜川への身投げも後を絶たなかった。

 

本書には「肝入り勝太郎」が紹介されている。彼は若い女性の人間の肝臓を取って何人も連続殺害を行っていた。当時動機は謎だとされたが、結局は病気の工女を治すためだったとされる。当時はカエルを丸呑みしたり、くまの手を食べたり、たぬきの脳みそを食べたりなど、治療法のない病に対してやれることは何でもやられた。その最後の手段が人間の肝や生き血だったとされる。そうでなければ自宅の裏側で隔離飼育される他なく、いくら優秀な工女でも結核などが起こればそれでおしまいという時代だったのだ。

 

工場主と工女の対立が最も盛り上がったのが、大正初期で、諏訪周辺では山一争議が起こり、工女1000人単位と山一林組との労働争議は全国に波及するようになった。だが、これは雇用主側の一方的な弾圧により、結局争議が成功されることはなかった。細井和喜蔵の「女工哀史」が1925年だから、ついに工女の労働環境にスポットライトがあたった時期だと言える。

https://blog.goo.ne.jp/19471218/e/34fe3bc4351728835ec99f4ec926d13b

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%B7%A5%E5%93%80%E5%8F%B2

 

だが、本書では、そのような工女の惨状だけにスポットライトをあてたわけではなかった。

著者の事後調査では、例えば工場でのご飯や労働環境に不満を持ったものは「殆どいなかった」と言われる。(検査や病気への待遇には不満も大きかった。)これは偏に、農村では「ひえぬかを3杯食べないと、ひえご飯にありつけなかった」ような環境だったのが、工場では

白米を食べさえてもらえたり、農村では重労働に朝から晩まで従事して全然儲からなかったのが、工場は働いた分だけ十分稼がせてもらい、稼げるものは百円工女といって、一家を一気に裕福にした。

 

消費社会が浸透する前の農村の若い労働力は、控えめによく働いた。だが、その環境は劣悪だった。明治に向けての資本主義の浸透による環境の劇的な改善と、百姓特有の勤勉さが産業革命期の原動力となったことは強調してもしすぎることはない。産業革命が十分なければ「首をつろうか、野麦をこすか」しかなかったところに、工女たちは生きる術を齎したのだ。

 

そうであるならば、飛騨から岡山での35里=140kmの道のりは、全く絶望に満ちたものでなく、むしろ希望に満ちたものだったのだろうと思われる。日本では歴史に資本主義の闇の部分ばかりが取り上げられるのだけれど、大きな流れを理解することがいかに大事か教えてもらった気がする。