サービスのプライシングについては、いくつか方法があるが、最近では消費行動がモノからサービス的に変わることによって、そのプライシングの方法も変わってきたといわれる。
マーケティングジャーナルの論文ではメニコンやコストコの例を挙げ、今までモノ個別の値段で金を払っていたコンタクトや消費財を、月額価格固定にしたり、二部料金制にすることで、差別化を図っていると挙げている。
この例はもはや世界的にもはや必然の流れで、例えばソフトウェアを月額固定や従量課金にしたり、さらにはシャアリングエコノミーなどの文脈でいえば、モノを所有することなく、シェアしたり、またはうまく自分の持ち分を外注により満たすことで、料金の面でも、自分の便益もうまく高めることができる。大事な流れなのは、この「サブスクリプション経済」というもので、企業は経営が上向きになることである。なぜなら、一度サブスクリプションしたら、そのサービスを特段の理由でキャンセルするまで使い続けるので、企業はキャッシュフローを予測しやすくなるからだ。
さて、それらのサービスのプライシングは公共性に則ったものだろうかというのが今日の疑問である。
例えば、普段利用している電波について、日本では電波オークションが先進国内で珍しく認められてないことが知られている。電波オークションとは、公共料金の利用価格、その提供先を事業者のオークションによって決定するもので、その免許の許認可の費用などで米国では累計8兆円以上の収益が生まれているそうだ。翻って日本では、事業者が国に支払う電波の金額は42億円、一方営業利益は3兆円と非常にアンバランスであるようだ。
現に、日本の通信キャリアとその使用料金は他国にくらべて圧倒的に高い。寡占市場の中でお互いに強調しあって設定する強気のプライシングが成り立つのは、電波を持っているという圧倒的優位性から生まれるものなのだ。
しかし、多くの国民はそれになれきってしまっている。需要と供給の原則によリ価格が決まると思いこまされているが、これは供給力に差がない事業者がフェアに競争しあっている場合だ。通信キャリアに新規参入ができるのが格下の電波を借りたMVNO事業だけである通信業界が良い例だが、実はシェアリングエコノミーにおいてはこの適正な価格形成プロセスが働かない可能性が高い。
なぜなら、多くのIT企業がプラットフォーマーだからだ。多くの資金を投じ、事業がなんとか成り立つような例えばFacebookのような企業を倒すためには、2番手は彼らが立ち上がった10倍以上のマーケティングコストを必要とするだろう。例えばいくら広告出稿料が安くてもFacebook以外の新興類似のプラットフォームを事業者は利用しないはずだ。
この圧倒的強者による値付けは、日本によるNTTがそうであり、そしてそれ以上に現代では圧倒的な支配力を持つはずだ。それが、プライシングの方法変化という装飾で誤魔化されているような気もしなくもない。
公共性の高いプライシングに申告ベース課金がある。例えばWikipediaはこの課金により成り立つプラットフォームだ。彼らへの支払いは自分で課金方法を決めるのだからそれは公平性と透明性をもったものになる。だが、これは逆に「事業のやり損」と事業が安すぎて他のよりよいサービスを持つ事業者が参入できなくなるというデメリットもある。
また、ゲーム理論の一つにメカニズムデザインという分野があるが、例えばサービスに課金する料金を自己申告し、その案の評価の値から費用を引いた総便益の高い案を採用する。例えば、道路を作ったらそこにいくら交通量を払うかという問題で、低く申告しすぎると道路は作られず、高くなると利用料が高くなる、そんなプライシング決定メカニズムがある。これを採用すれば、公共性、公平性と収益性のバランスが図られると思われる。
実はその前提として「民主的な決定の結果は投票ルールに従う」「一定の条件下で最適な戦略は中位者の戦略に従う」「本当に総意を反映した民主主義はありえない」(アローの不可能性定理)など、民主主義の意思決定過程には大きな欠陥があることが前提にされている。
だが、とりあえず今日言いたかったのは、今後の資本主義経済を担う企業への資本の移転の過程に僕たちはいるし、料金の設定というその移行過程に僕たちは意見を表明しづらいということだ。民主主義的な意思決定と資本主義というものが実は相容れていないことがよくわかる例だと思う。
(参考*坂井豊貴 多数決を疑う。)
http://agora-web.jp/archives/2028415.html
http://sharing-economy-lab.jp/share-space-monooq
https://www.servcorp.co.jp/blog/archives/sharing_economy_16_services.html