OldLionの備忘録

OldLionの備忘録

年老いたライオンは錆びない。狩りを続け、振る舞いは日々深みを増していく。
いつまでも自分を忘れず、狩りを忘れぬライオンでありたい。
そんなライオンになるための日進月歩。

資本主義は、私たちにとって当たり前になりすぎている。

そう感じる今日このごろである。

最近韓国ドラマの84m2というのがネットフリックスでリリースされた。内容は全然面白くないんだけど、手段はお金に囚われた人間が狂い、他人とのドタバタ劇に巻き込まれていく様である。仮想通貨に手を出して、必ず数倍になると信じ込んで24時間画面に向かい続け、会社も休み、狂っていく。

そんなことを思って調べてみると、やっぱり出てきたビットコイン中毒。

 

 

厳密にはデイトレード中毒の亜種ということになるらしいが、1日のうちでずっと取引所を見てしまうのが、毒されているということになるのだろう。これは結構大きな社会的な損失なのではないかと思うわけである。と同時に、AIに仕事を奪われる人間にとっては、次なる本質的な仕事が見つかるまでの当座の期間は、こうしたギャンブルっぽい動きしかやることがないんではないかとも思うわけである。AIが作る華やかな舞台で、人間は遊ぶことが本質になりつつある。(元々そうだった可能性はあるけれども)

 

 

一方、最近面白い論考を読んだ、ナイジェリアには他人と競い合うように「サボる」文化圏が存在するらしい。彼らの経済性の中心は贈与で成り立っており、誰かが困っていたら自分の持てるキャパシティを最大限その人の支援に充てる。だから自分が借金する羽目になり、その結果他の人の支援を頼らざるを得なくなる。そして、自分たちが仕事をしてしまうと他の人が働く余地が出てきてしまうから、競うように働かないという原理も働いているそうだ。「Living for today」を社会で体現している珍しい例だ。

 

私たちは、他人よりも生産性を高く保ち、より多くのことを成し遂げることでコミュニティからの信頼を得られることをよく知っているから、勤勉であり、そして博識であることを是とする。しかし、このナイジェリアのコミュニティはまさに逆で、共助の関係を成り立たせ続けるためには、誰かが飛び抜けた成果を出すことをむしろ忌み嫌う。逆資本主義のような現象が起こるそうだ。

 

この現象と関連した現象として、途上国諸国における人々の行動についての意見に以下のようなものがある。

彼らは、公=仕事・私=家庭・個人 という関係と全く逆で、公=家族・個人 私=仕事という関係を優先順位の基本に据えているということだ。例えば、葬式があって仕事を休まなければならない場合、私たちは引け目を感じる。仕事に迷惑がかかり、会社・組織共同体からの信頼をなくすからだ。

 

しかし、途上国諸国の人たちは度々、仕事に全然帰ってこない、むしろ会社には堂々と来ないで休みを取ったり、遅刻したりということがよくあるわけである。これは彼らが怠惰なわけではなくて、優先順位の転倒、つまり家族や地域への奉公が自分たちの価値の中心であり、会社はあくまで私的なお金儲け=地域共同体の共助の関係からはみ出した余剰の獲得というふうに捉えることができるのである。

 

日本では、例えば、男女共同参画という名の元に女性がどんどん働かされているわけだが、この原理で行けば、私たちは地域共同体からの価値観的な意味での離脱と資本主義的なプロパガンダで、会社に「強制的に出場」させられているとも捉えられる。別に半世紀ほど前の女性は会社に出ていないことに引け目を感じることなんてなく、むしろ家内や地域のネットワークの中心として家庭を成り立たせる重要な役割を演じてきたのである。

 

さて、このように見てくると、果たしてこの後この価値観はどうなっていくんだろうかと不思議でならないわけである、お金=人間の価値という部分に人間は飽き飽きして、離脱するという選択肢をとることだってあり得るわけだ。