今週末から、おそらく自分の出る最後の舞台作品が開演する。

なに、小さい劇場でいつも通りさらっとやるだけさ。

ただね。まあその前に。

演出が稽古中、芝居を見もしないで携帯いじってたり。
演出つけなかったり。
じゃあとたくさんアイディア出して遊びまくってたら「だからだめなんだよ。役を演じなきゃ。」とかほざいたり。
演出つけなかったり。
女に甘かったり。
予定を出しても見なかったり。
稽古中に出番のない役者に次の芝居の話をしたり。

本当に最悪な演出でございます。
いや、演出じゃないだろ。なんでクレジット乗ってるんだろ、この人。

まあね、昔やった芝居の思い出を汚されてるような気がするのかな

んなこた知らんけど。

芝居は新しい風をバンバン入れる。だからこそ既存の台本を使うのは難しいし好まない。台本はその時代の、書いた人物の見た世界だからね。

きちんとその時代を立ち上げたければ徹底的にみるものを合わせるために演出をつける。でないと成立しなくなる。

芝居は、全員の目で同じ世界をみることだ。そのためには「赤」と言葉にしたその赤の色を合わせないといけない。

血の赤か、太陽の赤か。ワンダモーニングショットの赤か。
それは膨大な時間と労力をかけた研鑽の中でしかできない。もしくはわかってる人たちで集まるか。

2つとも、稽古本番中の期間、きっちり食える以上の賃金を与えられなければ不可能だ。もしくはそれがなくてもいいくらいの狂気か時期か。

それは、無理だ。無理なのだ。

主催者サイドの目線で見れば。
資金の確保のためにはかなりの規模とその継続が必要。狂気と時期を提供してもらうと、彼らの未来にまで責任を持つことになる。

逆に役者サイドにたてば。
そのあたりわかってない主催者と組めば、狂気と時期を吸い取られ、賃金を得るすべを失いかねない。

そのバランスを考え続けて数年。やはり無理だと気がつき、それ以外にやりたいことも、それ以外のやりようもできた。

だから舞台をやめる。やめられる。

正確には舞台という表現の方法を今後とらない、ということだ。

代わりにやること、表現と目的。楽しませること。もっともっと。

次のステージへ。最後の舞台。がんばる。

新しい職場にうつり早一週間。
パソコン作業に没頭してるのは楽しい。
だが営業に出た途端、自分の症状を自覚する。


人間が怖い。


ただ怖い、不安。いつ後ろから殴られるんじゃないか。いつ自分に危害を加えてくるんじゃないか。話を聞いているつもりだが、聞けてなかったらどうしよう。それを伝えられなかったらどうしよう。報告するときに上司に聞かれたことを聞いてなかったらどうしよう。聞いていやな顔をされたらどうしよう。

駆け巡る不安、不安、不安。

ジェンガをしててじっくり積み上げていったら、突然横からはたかれ台無しにされる感じ。一度やられるとジェンガなんかもうやりたくないわけで。今営業をやりたくないのはきっとそんなトラウマなのだろう。信じられない。信じたくない

まあそれでも自分が働かなくちゃならんわけだから、少しずつなれたり、積み重ねたりするしかないわけで。
7、8年の間にないがしろにした自分の気持ち、自分自身を大事にする。
今はそんなリハビリのスタートなんだろう。
人生が次の段階に進みそう。

いや、もはや爪先は次の段に降り立っている。

いやいや、もはや次の段に立っている。

あとは足を踏み出し始めるだけ。

このあと起こる「次の段階にいけない事象」の想定としては、

俺が歩みを止める

もしくは

段ごと崩される

ないし

うしろから力任せに引きずり下ろされる

だろうか。

とにかく前へ進みたい。

夢だったのだから、芝居に携わり生きることが。