何年間か書けない時期があって、書かなきゃと焦り続け、結果コミュニティは瓦解して、みんなバラバラになった。
なんてなことがあった。
今、それと同じような事態になりかけてる。俺が、だけど。
今も昔も変わらないのは「何かを結実させるためには全ての力を結集し多少傷ついてもかまわない」ということ。だからなんとしてもやるし、周りの負担はへらしたいと思う。そういう人間がいるとまわりが辛くなるのを知ってるからだ。
自分はといえば。
いつだって楽しくて書いてるわけじゃない。
設定を考えるのが好きなだけで、それを形にするために書いてるだけ。
もし頭の中をすぐに人に見せられる装置があるなら、もう書かないだろう(笑)
そんなことを一人、仕事のあとコツコツと、しこしことしてると、たまに惨めになる。
金をもらってるわけでも、名誉をもらってるわけでもないから。
自分の頭の中との格闘。自分自身との格闘。それだけ。だから使われたら嬉しい。けど自分のペースでやってるから嬉しいだけ。
「また書いてください」は仕事で言えばリピート。嬉しい限り。
けどそこに対価がなければただの便利使い。
何年か前のあの時、俺はみんなと同じただの役者で、みんなと一緒に上を目指していただけだった。少し書けるとかそんなこと。だから経験を積むために踊るための「舞台」を用意しただけだった。
みんなそれぞれいろいろ払ったろうけど、劇場費やらなんやら全部一人で出した。もちろん多少回収はしたけども。
それだけだった。ただの役者だったはずだった。
今もそう。はじめは脚本家。それが音選びして、役者として出て、ラジオのスタジオ貸し、録音、編集、音楽制作……。
対価。
金銭ゼロ。
台本に対する評価。あるんだろうけど、収録の時にある程度。俺しか書いてないからか、他の脚本家のたまに書く脚本を待ちわびる声ちらほら。
俺に対する評価。???。
台本を形にしてくれること。一緒に作品を作る仲間。その部分がなによりの対価だろうか。
けどよく考えたら
書いて、形になる。
当たり前だよな。形にしたいから書いてくださいって言われるわけだから。
わけわかんなくなってきた。
まあなんにせよ今惨めだ。何年か前、「次はいつ書くの」と便利使いされたことからいやになった。この人たちのために書こう、とならなくなった。
今回もそう。相手のせいでもあり、やりすぎる自分のせいでもある。だから両成敗。いやなら離れればいい。
けど書くしかないのだ。終わらない物語はより惨めだから。