手を繋ぐって行為は、その人とやっていく上で、最低限続けていけるかをはかるにはいい行為だと思う。

恋人もそう。
友人もそう。

もちろんその時しっくり来たからといってうまくいくとは限らないが、必要条件にはなる感じ。

息子と、手を繋ぐ。

しっくりくる。

当たり前といえば当たり前。けど有難い。

これからも手を繋いでいこう。

向こうから繋いでくれる時はもちろん拒まず。

こちらから「手を繋ぐ?」と問いかけて繋いでくれるなら積極的に。
親の死について思う。

毎日顔を付き合わせていると、なんだかめんどくさくなるし、
一緒に働いていると、そんなこと考えなくなるけど、

ああ、いつか死んでしまうんだなあと覚悟する。

先日五年後の話をした時、

「その頃は生きてるかわからない」
「もういつ死んでもいい」

そんなことをもらす親。

しんどい。当たり前だがしんどい。

でも一緒に働いているとそんなこと忘れてしまう。

一日一日、できればもっと噛み締めて生きていきたいし、生きてほしいと願う。

けれど俺も親になる年齢だし、そろそろいろいろ考えてけじめをつけて、覚悟していかなきゃならんのだなと。

夜、一人、酒も入ってか、急に、怖く、寂しくなって。

五年後、生きてるかわからないと言った親が、また手巻き寿司をやりたいと言ったので、嫁と子供が帰ってきたらやってやろう。

ここは俺の愚痴の捌け口。流してやってくれい。
BUMP OF CHICKENのHello,world!を聞きながら。

先日見た夢は姉貴がステージ上でアコギ弾きながら歌ってた。あれはなんだったのか。

二人目の子供が生まれ、出産に立ち会い、より父親である自覚が強固になってきたなと思う今日この頃。

絶対評価の一番を目指し、相対評価の荒波に揉まれ、結果それは自分で決めるしかないと思ってきた。

けど今、絶対的な1になったのだと感じる。

この子達の父親、という絶対的な1。
この妻の旦那、という絶対的な1。

何を犠牲にしても守り抜く。守り抜いてみせる。