「愛情弁当」≠「弁当が基本」 教育勅語・親学・立憲破壊 中学生にも温かい全員給食を その21 | だばなか大介オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本共産党河内長野市議会議員 だばなか大介

中学校全員給食について保護者や市民の方々と話し合うにつれて大切な事に気がついてきました。

 

いわゆる「愛情弁当論」の認識にすれ違いがあるんじゃないか。

 

「純粋な愛情弁当」と「弁当が基本」は似て非なるものだという丁寧な説明と認識が必要だと感じるようになりました。

 

親が「子どもの弁当を作ってあげたい」あるいは「男子中学生とのコミュニケーションの手段として」と思うのは、自然に心の中からでてくる感情です。

 

私たちは「個人」の心の中から、自然に出てくる愛情を否定しているわけではありません。

 

問題は権力の側が「愛情や親が弁当を作る事」を規定することにあります。

 

(今回のブログはまとめ的内容なのでこれまでと重なる部分があります)

 

まず最初に検証したいのは、現在の選択給食をきめた「あり方委員会」

議事録を見ると「弁当が基本」の議論の中身は

http://www.city.kawachinagano.lg.jp/kurashi/kyoiku/1285737465187.html

 

●女性が社会進出で忙しいから、作ってよという単純な発想ではなくて、だからこそどう考えているのかを改めて考え直すという提言をする必要があると考えます。

 

●「面倒くさい」ということに関連しまして、子供達の将来はどうなるのかなあという危機感を持っております。私が子育てしていた時期に、しんどい思いをして、子供の弁当を作っていました。私の母親が私たちを一生懸命育ててくれた姿を見ていたから、自分が親になったときに、自分の子供にもそのようにしなければならないことを当たり前のように感じていたからだと思います

 

●親をみて、子供が育つのですが、基本は親の生活です。 今の若いお母さんは何故生活において手を抜いて楽な方向へ行くのかなと思います。背景には社会及び地域に改善すべき大きな問題があるのではないかと思います。

 

●親として何ができるのか、食べるものぐらいは自分で作りたいと思います。弁当を作ることは「親育て」であると思います。

 

という議論です。

心の中から自然に出てくる「純粋な愛情弁当」が議論されているのではなく、「(女が)弁当を作るべきだ」と議論されている事がわかります。

 

「弁当を作るべきだ」と権力の側が国民に対して規定する事は、

ご承知のように、国民が権力を縛る立憲主義とは相容れないものです。

 

そこで見てもらいたいのは「教育勅語」です

教育勅語は2段落目で次のように述べています

「今まで国民は、天皇家の臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきました。この歴史こそが、この国の根本で在り、素晴らしいところです。そして教育の原理もそこに基づくのです。」(※訳、教育勅語と道徳教育・平井美津子より)

 

9月議会で自民党は「95%の保護者が弁当を作っているのは河内長野の誇るべき宝」と言いましたが、まさに教育勅語が述べていることそのものである事がわかると思います。

 

それだけではありません。いま河内長野市では全国に先駆けて「親学」が進められています。「親力推進協議会」という組織を立ち上げ、PTA選出の母親部会が会員になる仕組みを作り活動させています。目的は「親のあり方」を気づかせるとしています。(「気づかせる」とはなんとも上から目線ですね)

 

全国的に「親学」を見ると、安倍首相が会長になり「親学推進議員連盟」を発足。「親学推進協会」の現会長木村治美氏は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表発起人、現理事長の高橋史朗氏は、「日本会議」の役員です。

 

「親学」の全国組織は「家庭教育支援法」をつくり、国家の家庭教育介入をねらっています。

戦時中に「戦時家庭教育指導要項」がつくられ「母親学級」がつくられましたが、この法案は同様の方法で、国が望ましい家庭教育のあり方を示し、国が家庭に介入してくるものです。 憲法19条(思想良心の自由)は当然の事ながら、憲法24条を否定するものです。

 国が求める『家族』が個人よりも優先される思想で、男女平等や個人の尊厳をを否定するものです。自民党改憲草案が24条に家族条項を挿入しようとしていることに通じます。

 

 さらに河内長野市教育委員会は中学公民の教科書に育鵬社を選定し、その推薦理由について和田栄教育長は
①戦後教育が「個人」を強調するあまり、
②社会の基本的なルールやきまり、社会性がないがしろにされてきた。
③そのことで家族のきずなが希薄になり、地域のつながりも薄くなった。
④だから郷土愛を育てなければならないので育鵬社。
と述べました(要約)。詳しくは※http://www.geocities.jp/jcpkawachinagano/kenkai-20150804-kyoukasyo.htm

 

 

今回「愛情弁当」をめぐり・あり方委員会での議論・教育勅語・親学・自民党憲法草案・育鵬社採択など様々な角度から検証しました。

いま市教育委員会が「弁当を基本とする」と定め、全員給食を否定しているのは特定のイデオロギーによる教育への権力介入です。

 

「愛情弁当論」とは「愛情」の隠れ蓑をまとった全体主義だと思います。

しかし、聞き取る側にその隠された意図は伝わりません。

「愛情弁当」の言葉は意図的に作り出された言葉です。

親の愛情は自然な当たり前の感情であり、「純粋な愛情弁当」が悪わけがありません。

×「愛情弁当に固執する市教委」ではなく

○「家庭からの弁当を基本とするに固執する市教委」と言うべきと、みなさんと話し合う中で学びました。

 

最後にこのようなイデオロギー論争を、多くの市民は望んでいないと思います。しかし市教育委員会が頑なに中学校全員給食を否定している根本がここにある事を知って頂けたらと思います。