こんにちは!

良くも悪くも注目されつつあるトランスジェンダーですが

トランス女性への批判(トイレや風呂などについて)をよく見かける印象ですが、トランス男性への意見を色々見かけて思ったことを話したいなと。


再三言っていますが、私も性同一性障害の当事者ですが、考え方は人それぞれで、私も別の当事者の考えが理解できないことも多々あります。

それを踏まえた上で、当事者の一意見として聞いていただけますと幸いです。


まず、「トランス男性は絶対的に女であり、精神的/社会的に男側に立ち入るなど言語道断」といった考えが透けて見える意見が多く、トランスジェンダー云々以前に根強い“男女観”を感じます。

まあ、染色体に関しては確かにそうですがね。どう頑張っても変えられません。

余談ですが、染色体でトイレや風呂は分けろ!という主張もありますが無理がありますよね。そもそも性染色体が未分化の人はどうするのか、とか。ペニスも形成して見た目はバッチリ男性だけど、染色体はXXで女性だから女湯に入りますって方が問題でしょうに。

以前も言いましたが、お風呂やトイレについて議論できるほどトランスジェンダーや性同一性障害への理解が世間にないんですよ。


未オペで体は女性のままだが、女性扱いを受けることに嘆いて、心ない言葉に傷付くトランス男性に対して

“男社会”へ馴染めないなら男じゃない、無遠慮な言動に悩むくらいなら男じゃない、男なら裸を見られても恥ずかしくないはずだから裸を見られたくないのは所詮女……のような、悩めるトランス男性をあくまで女性であるとムキになって噛み付く意見を見かけます。

男社会に馴染めない、無遠慮な言葉は苦手、徒に肌を晒したくはないシス男性もいるでしょうに。性格は性別によるものではなく個性なんですよね。


発言している人たちが、自分が“男らしさ”や“女らしさ”をしつこく強要されてきて頑張って応えてきたけど本当は不愉快だったのか、本当に何一つ不自由せず快適に暮らしていたのかは分かりませんが

トランスジェンダー叩きの理由のひとつには「自分は頑張って男らしく/女らしく努めてきたのにトランスジェンダーを自称して逃げるのはずるい」といったものもあるのではないかと考えています。

批判の対象になっているトランスジェンダーの話って、未オペである人、特に選択的に身体的な治療をしていない方であることが多い印象です。

なので、元の性別の特徴をかなり残したまま、自らへの性別に疑問を持っている人たちを理解できず、つい攻撃的になってしまう人が多いのかなと。


そして、トランス叩きとしてはこれくらいのラインの考え方の人を取り上げやすいから槍玉に挙げることが多い。

実際に体を変える気もないくせに自分の性別の役割から逃げたやつは認められない!トランスジェンダーとはそういうワガママを言うやつだから配慮の必要はない!という意見が出てくる。


正直、精神的な部分におけるトランス叩きって、トランスジェンダーの問題ではなく(一昔前は当たり前だった)ステレオタイプな男女らしさを強要する社会の問題だと思うんですね。

何百万もかけて体にメスを入れて戸籍を変更して、それ以上の手術をしている私自身も、「女らしさ」を執拗に強要されなければ、もしかしたら今ももう少しは楽に生きられたのではないかと思っているくらいです。

人によっては手術をせずに済んだかもしれません。

(手術をしておいて何ですが私は治療しないで済むならしない方がいいと思っている派です。それでも必要だから踏み切っただけで)


私はホルモン注射をして、手術をして気持ちは楽になったからベターな道を選んだのだろうなと思っていますが

時折聞く、治療を開始してから後悔する人もいると言われるくらいですからね。

個性を尊重される社会ならそういう失敗をしてしまう人も減るのかなと思いますし、性別適合手術やホルモン注射は理想の自分になれる魔法じゃないということを理解できる心の余裕もできるのではないかと。


色々と話が脱線しましたが、シスジェンダー、トランスジェンダー双方のためにも“男らしさ”や“女らしさ”の呪いから脱するのが専決だと私は思います。


昔、女性らしさを強要される言葉で傷付き、今もその苦しさに縛られているからこそ、個性が尊重される世の中になってほしいし

普段はカミングアウトする必要がない生活とはいえ、過度なトランス叩きの思想がいつ自分に飛び火するかも分かりませんし、まずは冷静に理解する方向に進んでほしいものです。