こんにちは。多聞です。

 

私は長い間、自分の内側にある深い声に耳を澄ませてきました。

 

初めて瞑想を始めた頃、

瞑想はただ心を整えるためのものでした。

 

キリがなく出てくる思いを静め、

掴めない心を少しでも落ち着かせるための時間でした。

 

 

それが年月が経つにつれ

単に心を安定させるためのものではなく、

自分自身とより深く関われる方便になりました。

 

そして、ある時から瞑想は、

普段は聞こえない内側の声とつながるための

通路のようなものになりました。

 

このような変化は長い時間をかけた実践の結果でした。

そして、いつも私を正しい方向へ導いてくれた

先生の教えがあってこそ迎えたものです。

 

瞑想は今では多くの方に知られている、身近なものですが、

間違った方向に進んでしまうおそれもあると思います。

 

例えば、不思議な体験だけを追い求めてしまうと、

かえって心が曇ったり、偏った神秘主義に

入り込んでしまう危うさもあるからです。

 

自分も迷うこともありましたが、

幸いなことに先生の助けもあって、

進むべき道の上を歩いていると感じています。


そして、その結果として「内なる声

とも出会うことができました。

 

そこで今日は、

 

私が自分の内側にある深い声に耳

(自分はそれを魂と呼んでます)を

澄ませるようになったきっかけについて書いてみたいと思います。

 

「魂」という言葉は、もしかすると少し遠く感じられるかもしれません。

 

でも私は、人には誰にでも、内側の奥には

深い中心のようなものがあると思っています。

 

ただ、多くの人は忙しい日常の中で、

その存在を忘れたまま過ごしているのかもしれません。

 

だからこそ、時々このような言葉を口にする人も多くなったのではないかと思います。

 

「自分が何を好きなのか分からない」

「何をしながら生きれば幸せなのか分からない」

 

こうした問いは、自分の内側にある深い声に耳を澄ませることで少しずつ手がかりが見えてくるものです。

 

それが私は瞑想を通して学んだことの一つです。

 

ここからは自分はどのように自分の魂と向き合う過程を少し見せたいと思います。

 

ただ静かに座り、自分の心を見つめる時間が

続いていたある日のことでした。

 

瞑想を始めてから何年も経った頃、

私の内側に一つのイメージが浮かびました。

 

 

最初に見えたのは、「森」でした。

私は森の外に立っていました。そして、そのイメージは少しずつ変わり始めました。

ある瞬間、私は森の前に立っていた場所から、森の中へと入っていきました。そして、その奥で一つの「湖」を見つけました。

その湖は、とても澄んでいました。風もほとんどなく、水面は静かで、まるで鏡のように周囲の世界を映していました。

そこは、森の動物たちが静かに近づき、喉を潤すために存在しているような、そんな穏やかな湖でした。

私はその湖の近くまで歩いていき、そっと腰を下ろしました。

そして、しばらくの間、その湖をじっと見つめていました。

最初は、湖の水面が鏡のように周囲のすべてを映していました。そうして見つめているうちに、ふと誰かの視線を感じました。

 

その視線は、湖の中から、水の奥深くから感じられる視線でした。

私は、その中に何があるのか知りたいと思いました。

そう感じた瞬間、いつの間にか森は消え、湖の水が少しずつ引いていきました。

水がすべてなくなると、そこには人の胸像が地面に埋まるようにして斜めに立っていました。

その胸像は、目を閉じた男性の姿をしていました。

その顔は、明らかに私とは違っていました。けれども不思議なことに、まったく見知らぬ存在のようには感じませんでした。むしろ、ずっと昔から知っていた存在のように、どこか懐かしく感じられました。

私はしばらくの間、その胸像を見つめていました。

すると突然、閉じられていた胸像の目が開きました。

その目と私の目が合った瞬間、不思議なことに、私は分かりました。

「それは見知らぬ存在ではなく」

「長い間忘れて生きてきた、自分の内側の深い姿なのだ」

「私が忘れていた、私自身の魂なのだ」と。

そう気づいた瞬間、すべてのイメージは光のかけらのように散り、消えていきました。

 

この強烈な出来事が去ってからです。

 

私は少しずつ、自分の内側にある深い声に耳を澄ませるようになりました。


最初は妄想と本当の声との差が分からず苦労もしましたが徐々にその差がわかってきて今に至ります。


 

もちろん、私が経験したのと同じ形で、すべての人が自分の魂に出会うとは思っていません。人それぞれ道は違い、内側の声が近づいてくる形も、それぞれ異なるのだと思います。

 

ただ、この話が、自分の内側にある深い声を探している方にとって、小さな手がかりになれば嬉しく思います。

 

私たちの内側には、思っている以上に長い間、静かに待っている声があるのかもしれません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。