戦国時代考察1 | 言いたい放題、言いっぱなし

戦国時代考察1

歴史は書物に書いてあることが必ずしも実際にあったことではない。

言ってみれば歴史学者の分析でしかない。



私が疑っているのが織田、徳川関連


家康が律義者だという評価。

そもそも、美濃と尾張は豊かな国である。

最初から2人は対等ではない。

家康に至っては幼少期に織田家に人質として売られている。

金ケ崎の引口があった1570年4月に何が有ったかと言えば、

1.武田信玄は韮山城(駿河国?伊豆半島のつけ根西側、小田原と山挟んだ反対側)北条との最前線と行って良い場所

この時点では徳川家と完全に向き合っている訳ではないが武田家は侵略志向が高いので1570年に戦はなくても数年後に攻めてきそうなことは予想できる状態。

2.もう一人の大物上杉謙信が何をやっていたかと言えば、越中攻めと、上野、下野攻めをしていたので織田と正面切って戦う状況でもない。

3.長島一向一揆開始は10月なので4月の時点では尾張55万石、美濃55万石、浅井を除いた六角の支配下にあった近江50万石、伊勢55万石、河内、和泉、山城

それぞれの国に一部の敵対勢力は残っているものこの時点で織田包囲網とはいえ織田領の生命線と言える近江に侵攻してこれるのは朝倉50万石これも加賀一向一揆が敵対しないことが条件です。三好ならば河内、摂津、和泉は勢力下とは言うものの力の源泉たる美濃と尾張、南近江が有ればじっくりと構える事が可能。

3.なぜ朝倉を攻めたのか?この頃の信長は幕臣としての行動原理が見えます。足利義昭が頼んでも動かなかった朝倉を制裁させたかった。貿易による実利が見えていた信長は敦賀が欲しかった。朝倉としては家中がまとまらず浅井と組んで積極的に領土を拡げる状況ではなかったが巨額な貿易利権を諦めることもできず

当時拡大政策を取るところは2種類。隣に侵攻的な野心がある勢力が居るか。食い物が無いか。

上杉には青芋(高額で売れる布)や武田には金が有るが金は欲しがる人がいなければ価値がない。現代社会のように金自体にそれほど価値があるわけではない。(価値が出たのは豊臣の大判や徳川の小判が一般的になってからそれまでは銭を貫という重さで管理していた。)つまり、貨幣制度は有ったが大量の米を銭で買っても銭で商品があまり無かったのだ。江戸時代のように貨幣経済は民まで及んでいない。(各領土ごとに関で税金がかかるので商人の往来はないに等しい)近江商人がと言われるのは比叡山との取引して、近江近郊で税がかからなかったからである。


何が言いたいのか。

織田が朝倉を攻めたのも、朝倉が比叡山に籠ったのも浅井が朝倉についたのも敦賀、琵琶湖商業利権を握る近江商人と比叡山対織田家の争いである。

決して朝倉に義理立てした浅井が義理堅いのではない。

浅井家はそれぞれの国人領主の取りまとめ役で、織田家のように歯向かったら潰されるという緊張感は無いので琵琶湖の水運や陸路での商売の権益を握る近江商人に国人領主や浅井家は逆らえない。

だから浅井は武士として織田の権勢が強いと判っていても朝倉につき当主長政ではなく久政が主動であると装ったのである。

じゃなんでそういう話が江戸時代とかに出てないの?と言われる貴方。当時は今のように情報が溢れて無いから分からんかったのよ。

比叡山が要衝にあり、都への通行がと理由にしている人もいるがそれは非常に薄い理由です。

織田信長は自身の本拠地を簡単に変える人だから、比叡山に阻まれない土地を本拠地にすればよいだけなのに潰した。

比叡山や近江商人の後ろ盾は六角であり朝倉だった。六角が自滅したので浅井を焚き付けて敦賀ー琵琶湖の利権を死守しようとした朝倉+浅井+比叡山との戦いになってしまった。

信長は最初それがわからず朝倉を攻めるための道として敦賀を抑えようとしたのか?それとも貿易利権を抑えようとしたか。どちらにしても慌てた近江商人が北近江の領主を通して浅井を動かしたのだと私は思います。


自分も天下を狙いたかったとか、朝倉に義理立てしてと言う理由が私には納得できません。

ましてや、織田と浅井は婚儀に依る同盟です。書面での盟約ではないし、他家に攻め込まないように約束するなんてあり得ないでしょ。


皆さんはいかがですか?


徳川が姉川で頑張らざるを得なかった理由。武田には領地を接しているのは上杉、北条と織田そして徳川。

上杉、北条とは膠着状態。織田は巨大な兵力を有している。一番弱いのは徳川。

先々同盟に守ってもらうためにここで必死に戦わないと援軍に来てもらえないからそりゃ、律儀とか関係ないでしょう。自らの兵力をすり潰してでも織田を勝たせなければいけないからの姉川と見るとだいぶ見方が変わりませんか?