江戸が東京になり栄えた理由 | 言いたい放題、言いっぱなし

江戸が東京になり栄えた理由

1.実質的都でありながら支配者階級である武家の町であったから

  江戸は基本的に商業都市ではなく消費都市です。

  しかも消費する者の大半が大名や旗本などの財政基盤が地方都市にある武士です。

  町人だって沢山いるじゃないかと思いますよね?

  その町人たちは流通や製造を担う人たちなんです。

  つまり、江戸という都市は地方の富を吸い上げる街だったんです。

2.木造建築の町であったからこそ火事が繰り返し起こり新陳代謝により新しい都市計画が実施され火除け地や太い道など整備

されていった。

3.堀と水路の町であったから、日本はヨーロッパの様に加工がしやすい石灰岩が大量に取れなかったので道路は基本土です。

  なので物流の為には水路を使います。

  その水路を埋め立てて高速道路や鉄道が作れました。

4. 明治時代に政権交代が有り旧支配者である幕府側の土地が大量接収されました。そこに色んな施設を建てることによって細か く分割されなかったので纏まった土地が有った。

 

 

徳川家康に先見の明が有ったと言いますが、そうでは無く必然だと思います。

 

1.徳川家康が開発を始めたときには、まだ豊臣秀吉がいた。

2.秀吉が亡くなってすぐの時にはまだ豊臣の影響力が強く、前田利家が健在であり亡くなった直後の関ヶ原の時には豊臣家大老としての立場で命令を出していた。領地替えの命令を出せるようになったのは1600年以降。

1600年の段階では江戸に拠点を移してから10年経っているんです。

出来ている拠点をわざわざ動かす必要がないというか、態々まだまだ勢力を保っている大阪の傍に行く必要など全くないのです。

 

ならば名古屋にすればよいじゃんという人がいるでしょうが、徳川家は三河なので終わりには地縁はありません。むしろ豊臣に有ります。

江戸のしっかりとした基盤を築いた状態であればそれをさらに固めればよいのです。

朝廷の権威を使わなくても武力により圧倒できる力をこの時期の徳川家は持っています。

 

江戸の良さは武蔵野台地を背景とする豊かな土地に有ります。

水浸しの土地を灌漑して整備していったのはあくまでも使える土地を広げていったにすぎません。

その証拠が、大名屋敷や庶民の生活エリアは低地です。

旗本や御家人には台地の上側を与えています。

 

先見の明?

 

秀吉が大阪がやったことを真似しただけです。