USJ呪いの人形 | 言いたい放題、言いっぱなし

USJ呪いの人形

USJの呪いの人形問題

https://abematimes.com/posts/1534271?adxarea=tx-pcmypage

 

どうなんだろう

心の持ちようというのは、いろいろあるよね

本当に愛着があり、供養したいという気持ちでお寺に持ち込み供養してもらう方法

周りから、人形には気持ちが宿るんだから、祟りが怖いよねと言われて

そういわれればそうかも、一応供養しておこうかという人

色々要ると思うのです。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016101800626&g=eco

元持ち主が、呪いのタイトルで展示されることを憤慨しているとのことですが

奉納といえば、聞こえはよいけど

あとくされが無いように、神様にお願いして捨てたんでしょう?

人形の気持ちだとか、子供の成長を願ってとか言うのであれば、しっかりと保存をするのが筋なんじゃないの?

自分の都合で手放しておいて自分の気持ちをぶつけるなんて失礼千万だと私は思う。

 

別の視線から考えは、人形に本当に魂が宿るのなら呪いの人形として、大勢の人目にさらされることを良しとするのか?

精神性の問題であるはずが、すり替わってしまっているのね

人形のイメージを落とすとして、日本人形のイメージを傷つけるとして、業界団体がいちゃもんをつける。

全然関係ない奴らが思い思いに文句を言う。

結局、日本人形を普及させたい連中や元の持ち主は、自分の都合が悪いことを批判している

しかし、直接傷つけられたわけではない。

 

文句を言う権利はないと思う

報道する側もそう、文句をつけることを単純に報道するくらいなら

日本人形のイメージアップだとか、供養という形での奉納は法的には所有権の移転を伴い以降の扱いについては、奉納された側の地涌になるんだと契約しなければいけないとか

 

本来思いを乗せて、供養するのにそういう契約っておかしくない?

 

お経を上げて、粉砕して壊してゴミとして処分するのか?

燃やすにしても、最近はビニール系の素材もあるし簡単にはいかないし、陶器系の人形は燃えないよ?

そういう部分をお寺が引き受けて、具体的に説明しないできたのに

お寺に奉納した後のことまで、自分の人形扱いするのは私はおかしいと思う。

 

呪い案件でもなくただの廃棄(供養)だった人形が、呪いの人形とタイトルをつけられたら自分に恨みが向けられそうで気持ち悪いという気持ちは理解できるが、供養という名目だろうが結局、自分には必要なくて手放したということは、ペットを捨てるのと同様の行為なんだからそういうのも受け止めてほしいな

 

お寺で、供養したんだから自分は悪くないという安心を手間と金で買っていた事実を受け入れてほしい。

気持ちの問題だよ

本当に人形に気持ちをもって接するのであれば、捨てない。

ただのものとして扱い、必要なくなったら供養などせず捨てる。

 

中途半端に供養とか言って自分に言い訳している奴ら

その上で批判している奴ら

私には、自分勝手に見えるよ

 

 

その上でね

人形供養を引き受けた上で、呪いの人形として人目にさらすことをした連中

手放された人形には怨念がこもっちゃうよと言い放っているのも同然なの

呪いの人形展で飾ることの本当の意味を考えようか

「人形供養で有名な淡嶋神社」が、供養を引き受けるということは呪いの人形になっちゃうということなんだね

そして、呪いの人形として大勢の人に見せることで供養になると

 

最後にUSJ

単に薄気味悪い人形が大量にほしくて淡島神社になら大量にありそうだから相談しただけのこと

単なるエンターテイメントですよ

演出ですよ

 

 

ではでは