君の名は ネタバレ含む
ネタバレあり
話題作見て参りました。
感想
私は好き
物語のテーマは、糸
「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それがムスビ」
これが、象徴的な台詞かなと
批判している人の感想では
童貞臭い、ご都合主義が嫌い
うん、そういう人は向いてないよね
ドラマチックな物語はご都合主義じゃないと成立しない
リアル至上主義には、奇跡は何度も起こらないだよね
ご都合主義=あり得ない
入れ替わりがあり得ない
中身みつはに惚れる奥寺あり得ない
ウロツイテいるだけで1日で会えるなんてあり得ない
友人の名前は忘れないのに地名だけ忘れるなんてあり得ない
東京をうろついただけで会えるなんてあり得ない
中3と高3で、変わっていないなんてあり得ない
山頂まで帰り日が暮れるようなでかけ方なんてあり得ない
まぁ、再会でピント来るのはあり得るとしても、二人とも駅から出るなんてあり得ない
なんで?そんなあり得ないことばかりが起こるのか、それは運命だから
小説で明かされている内容だと
糸守辺りは火山ではないので、糸守湖も火山由来ではない=彗星由来
3個も彗星が墜ちて来る時点で、ご都合主義
入れ替わる時点でご都合主義
日記アプリでやり取りしてるんだから西暦は携帯画面に当然でるでしょ
それなのに時間のずれに気がつかないご都合主義
それでも、よい
それを楽しむ物語だから
私は小説を先に読んだのだけど、小説では判らなかった パパ町長の説得
映画のパパの表情を見て確信した
ママの入れ替わりの相手はパパ
そして、パパもあの石堂に行っている。
天井画を見ている?
ばぁちゃんが言っていた、忘れちゃってたけど思い出したがパパにもおこったのだね
映画の山火事についての確認あのくだりは要らなかったかな?
あれさえなければ、変電所の爆発原因がわからない以上、とにかく避難してみようというもっていき方ができる
瀧と、テッシーが苦労していた避難が避難訓練で説明されちゃうのは、ガクンと来ましたけど、まぁ、本題はそこではないのでスルーで
奥寺さんと瀧との関係性は、奥寺さんのような人が、みつはに惚れるのか?
その辺りは気になりました。
惚れるではなくほっとけない感じ位でも良かったんじゃないかな?
まぁ、彼女の役回りはみつはの引き立て役だから、そこにリアリティー求めなくてもよいのかな
さて、賛否は有ってよいし
好き嫌いも別れる
屈折した童貞気質の監督が描いた理想の恋物語
ご都合主義がないと成立しない
そこがよいんです
運命と挫折と再会
等身大の男子と女子がドラマチックな出会いをする。
忘れているだけで君にもあるかもしれないという、夢見勝ちな物語
そんな物語です。
9月27日加筆
入れ替わりを信じたばぁちゃんが瀧の言葉を信じないで、パパがみつはの説得を信じた理由
パパの元民俗学者だという設定が生きている
民俗学者であれば、ああいう石室に行ってちゃんと調査しない訳がない。
もしくは、ばあちゃんに比べて、新しい記憶だから蘇ってきた内容も多かった?
日記アプリの文字化けという表現があった時点で、この物語は【神の御業】なんです
神の使いである巫女みつは
水の龍 瀧が町を救うために出会わされる。
そして、吊り橋効果により恋が生まれ、お互いの恋心による力により 町が救われた。
人の力になるのは、真ん中に心がある愛(慈愛、友愛、親愛、家族愛)ではなく
恋の力、下心=リビドー=衝動なんだよ
その衝動にこそ周囲の人が動かされるのだ、かつて自分に対する追憶といってもよい
みつははてっしーとさやちん、パパ町長を動かした。
瀧はラーメン屋を動かした。
物語上では語られていないが 実はパパ町長もその衝動的な恋から醒めていないのではないだろうか?だからこそできた役回りが存在しているともいえるのだ
それこそ、ご都合主義の極致=神の御業なのである
恐らく、パパ町長はママの口嚙酒を飲んでいない=半身を共有していないのだ。
だから、瀧のようにみつはの感情が流れ込んできての共有感がない
だから、簡単に宮水神社から出ていき、運命に導かれるように町長の役割を担た時でも
「私が愛したのは、フタバだ」とか簡単に言えてしまう=実質、あの時にみつはは捨てられたと感じている。
つまり、紐の意図が途切れたをこれで表現している。(紐の途切れたは、フタバの死とみつは、よつはの誕生という表現もされている)
それが、途切れはしたけど、いろんな事柄の中でちゃんと結ばれているんだ
そういう表現がなされているだろう。
パパが町長でなければ町の人は非難させられなかっただろう
実際に町長がどんなに尽力したとしても1~2時間では全町民は非難しなかったであろう。
体の不自由な老人はよほどの理由がなければ動かない。ましてや避難訓練だというのであればそこの家人も動かないのが現実である。
そういうのには目をつぶるんだから、リアリティーを求める人には納得できない物語なのである。
田舎の過疎の町であれば、電気がなくなり暗くなった町で非難させることがどれだけ大変なのか
そんなんかんけーねぇ、運命の導きで多くの人が助かっためでたしめでたしなのである。
最後によつはが街の学校に通っているシーンがあった。
みつはの部屋はワンルームで二人で暮らしている雰囲気はなかった。
ばあちゃんは、、神社がなくなったからと言って街で暮らすとは思えない。
高校生に一人くらいさせるとは考えにくいので
消去法でしっくりくるのが、8年の間にばあちゃんは亡くなっていてパパ元町長と暮らしているのではないのか?
それも、結び
これらは、あくまでも私の解釈ではあるんだけど
共感してくれる人が多いとうれしいな