81歳まで生かされた。
これから、 どう生きるべきか。 財もない。年金で何とか食べ、猫一匹の餌代、認知症兼肝がん患者・要介護の女房殿のお世話に追われる毎日では、味気ない。
高齢者がどう生きるか・・・社会奉仕活動が一番らしい。お釈迦様はどうおっしゃって80歳で「釈尊入滅」されたのだろうか。
お釈迦さまが説かれた絶対の幸福|底抜けに明るい心の長者になれる
世界の偉人と仰がれる仏陀・釈迦牟尼(お釈迦さま)は、すべての人が「本当の幸福」になれる道を明らかにされました。
幸福と言っても、美味しいものを食べたとき、人に親切をして感謝されたとき、結婚したとき、長く患っていた病気が完治したときなど様々な幸福を私たちは日々感じています。
幸福についてお釈迦さまは、「世に三長者あり(世の中には3通りの幸せな人がある)」と教えられています。
3種の、どんな「長者」がいるのでしょうか。
12月8日はお釈迦さまが「仏」になられた日
12月8日は、釈迦成道(仏のさとりを開かれた)の日として知られています。
今から2600年前、インドでお釈迦さまが35歳の12月8日に仏のさとりを開かれてから、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、私たちに教えていかれたのは「どんな人でも本当の幸福になれる道」でした。
仏教を聞けば、あなたも心に最高の宝を獲て、世界で最も幸せな「心の長者」になれるのだよ、とお釈迦さまは教導されているのです。
今日でも「長者番付」などと使われるように、お金や物に恵まれた人を「長者」といいますが、「そんな長者に3通りある」とお釈迦さまは教えられています。
1つには「家の長者」
2つには「身の長者」
3つめは「心の長者」
といいます。それぞれどのようなことなのでしょうか。
【1】家の長者・・・財やお金に恵まれた人
家の長者とは、家や財産、お金や物に恵まれ、豊かな暮らしをしている人。
いわゆる私たちが「長者」と聞いてパッと思い浮かべる人のことです。
戦後の焼け野原から今の日本を築くため、私たちの先輩たちは大変な苦労をしてきました。
かつて子供の憧れは、「巨人・大鵬・卵焼き」の3つでした。野球は「巨人」、力士なら「大鵬」、そして、最後は「卵焼き」。
今や豊富に売られる「卵」は、どこのスーパーでも1パック200円ほど。しかし当時は高価で、なかなか子供の口には入らなかったのです。
1950年代、「三種の神器」といわれた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。それが60年代には、カラーテレビ、クーラー、自動車が「三種の神器」となりました。豊かになると、持てる物も変わってきます。
今日では、子供から大人までほとんどの人がスマホを持ち、テレビは大きく薄型、高画質。
洗濯機はボタン1つで乾燥まで。車は一人1台という家庭もあり、私たち日本人は世界でも有数の「家の長者」といえましょう。
懸命に働いて、こんな便利で恵まれた社会を作り上げてくれた先人たちに、心から感謝せずにおれませんね。
「はたらく」とは「傍(周囲の人々)を楽にする」ことだから、本来「人の幸せのために努力する」こと。
そんな「自利利他(自分以外の人を幸せにするままが、自分が恵まれること)」に生きる人こそ、「家の長者」となれるのでしょう。
【2】身の長者・・・ 健康で元気な人
どんな病気であってもその苦しみは「甲乙つけ難い」から、「病」は病だれに「丙」と書く
ともいわれます。健康は失ったとき、そのありがたさがしみじみと知らされるもの。
お釈迦さまは2番目に「身の長者」を挙げて、健康という宝に恵まれた人は大変に幸せなの
だよと教えられています。
イスに座ってのデスクワークは、毎時22分寿命を縮めるとする研究結果が報告され、最近
は立って会議やパソコンに向かい、仕事のあとに公園でウォーキングしたり、ジムに通って体
力作りをする人もいます。コラーゲン、コンドロイチン、オルニチン、グルコサミン、などさ
まざまなサプリメントを服用する人も増えています。
自分が運動し、身体によい物を食べなければ、健康は手に入りません。
いつも穏やかに明るく過ごすことが、体にもいい影響を及ぼすことは、一般にもよく知られ
ています。
仏教で説かれる「和顔愛語(和やかな笑顔と、相手を気遣う優しい言葉)」を心がける人は他人に幸せを振りまく人だから、必ず幸せが巡ってくるのだよとお釈迦さまは教えておられます。
「因果の道理(自分の行為が、自分の運命を生み出す)」に従って生きる人こそ、「身の長者」と恵まれましょう。
【3】心の長者・・・ 生命の歓喜を獲た人
最後にお釈迦さまは、「家の長者」、「身の長者」も素晴らしいが、いちばんよいのは心に最
高の宝を獲た、「心の長者」だと教えられます。
「人間に生まれてよかった、生きてきてよかった、この身になるための人生だったのか」
と生命の歓喜、永遠の魂の喜びを獲た人だからです。
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爺さんはどう生きようか。
有名な「葉隠れ」の神髄を探求でもしようかな。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」は、武士はむやみやたらと死ぬべき、と主張しているわけではありません。
使っている言葉がこの前後の文章も含めてかなり尖っているため、真意を読み取りづらくなっているのは確かなのですが、『葉隠』全体を見渡すとこの言葉の目指すところが見えてきます。「自分のやるべきことが何かを深く考え、自分さえ良ければという考えを捨て、必要ならば、ためらうことなく命をも投げ出すのが武士というものである」
研究者によって多少の解釈の違いはあるものの、『葉隠』のベースにあるのがこうした思想であるという視点は一致しているようです。
直接的な生き死にどうこうよりも、やるべきことをしっかり見据えて実践する精神について語っている。だからこそ、礼儀作法や身だしなみ、恥をかかないマナーなどにまで内容が及んでいるのだと考えられています。
う~ん。生きるって難しい。
