野口 英世 | dai4bunkuのブログ

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野口 英世

 

野口英世博士と言えば、千円札の肖像の人物である。

爺さんは、小学校時代「偉人伝」で学校で教わった。彼の幼少の頃の苦労と、生涯にわたる社会貢献である。

 その概要は、

   野口英世は農村部の貧しい農家に生まれたが、1歳で左手に障害を背負いながらも独学を通じて医学を心得たほか、生前は細菌学者として世界的な名声を得た。

 21世紀の現代において、野口を題材にした子供向けの偉人伝が日本国内で多数刊行され、医学研究者としては非常に知名度が高い。2004年には日本銀行券のE号千円札の肖像に選ばれ、2024年の改訂まで20年にわたり発行された。

 

                  

 父・野口佐代助と母・シカの長男として生まれ、清作(せいさく)と名付けられる(22歳で英世と改名した)。

1878年(明治11年)4月

清作は1歳の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負う。

1883年(明治16年)

三ッ和小学校に入学。左手の障害から農作業が難しく、学問の力で身を立てるよう母に諭される。

小学校の頃は、左手に大火傷をしていたので、「清ボッコ」と言われていじめられていた。

1889年(明治22年)4月

猪苗代高等小学校の教頭であった小林栄に優秀な成績を認められ、小林の計らいで猪苗代高等小学校に入学する。

1892年(明治25年)10月

左手の障害を嘆く清作の作文が小林を始めとする教師や同級生らの同情を誘い、清作の左手を治すための手術費用を集める募金が行われ、会津若松で開業していたアメリカ帰りの医師・渡部鼎の下で左手の手術を受ける。

 その結果、不自由ながらも左手の指が使えるようになる。清作はこの手術の成功に感激したことがきっかけで医師を目指すこととなった。

 

 博士は1876年〈明治9年〉11月9日 - 1928年〈昭和3年〉5月21日)は、医師、細菌学者。栄典は、正五位・勲二等旭日重光章。学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。

 

   福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)出身。高等小学校を卒業して上京し、済生学舎(日本医科大学の前身)に通い、医術開業試験に合格して医師となった。渡米してペンシルベニア大学医学部の助手を経て、ロックフェラー医学研究所研究員となった。

 

 主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の授賞候補に三度名前が挙がったが、後にその業績の多くが否定された。

 

 黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3年)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で「その努力は科学に捧げつくされた。

 

 「人類の為に生きた彼は人類の為に死んだ」という野口英世を賛えた記念碑が、ニューヨークと終焉の地であるアフリカのアクラに建っている。スピロヘータの純粋培養の研究で世界的評価を受けた野口は、黄熱病の研究に取りかかりアフリカに赴く。当時の顕微鏡では発見できない病原ウィルスを追ったが、感染。1928年5月21日、この世を去った。

 

 

爺さん:貧しい幼少時を思い出し、朝からやや感傷的になったが、その後の努力や人生の生き方には、恥じるものがあり赤面の至り。町内地域のごみ掃除が生きがいの様な爺さん。

 それでも、生あるうちは生き抜きたい。