林檎忌・麦の日 | dai4bunkuのブログ

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林檎忌・麦の日

第二次世界大戦後の代表的歌手・美空ひばり(みそら ひばり)の1989年(平成元年)の忌

ヒット曲『リンゴ追分(おいわけ)』から「林檎忌」、「ひばり」という名前にちなみ、麦畑が鳥のひばりの住処となることが多いことから「麦の日」と呼ばれる。

 1937年(昭和12年)5月29日、神奈川県横浜市磯子区滝頭に魚屋の長女として生まれる。本名は加藤和枝(かとう かずえ)。横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部(現:東海大学付属市原望洋高等学校)を卒業。

 

 家にはレコードがあり、幼い頃より歌の好きな両親の影響を受け、歌謡曲や流行歌を歌うことの楽しさを知る。1946年(昭和21年)の9歳から劇場に出演、1948年(昭和23年)に歌手デビュー、「天才少女歌手」として評判となる。翌1949年(昭和24年)、映画『踊る竜宮城』に出演し、その主題歌『河童ブギウギ』でレコードデビューを果たす。

 

『悲しき口笛』(1949年)、『東京キッド』(1950年)など主演映画とその主題歌が次々にヒット。1952年(昭和27年)映画『リンゴ園の少女』の主題歌『リンゴ追分』では当時の史上最高記録となる70万枚を売り上げる。

 

 1954年(昭和29年)、『ひばりのマドロスさん』で第5回NHK紅白歌合戦に初出場。江利チエミ、雪村いづみとともに「三人娘」として人気を博す。その後、熱狂的なファンの少女に塩酸をかけられるなど、不運の時期を経て、「歌謡界の女王」と称される存在となる。

 

 52歳で死去。没後、長年の歌謡界に対する貢献を評価され、女性として初めてとなる国民栄誉賞を受賞。全作品は1000曲以上に及び、その他の代表曲に『哀愁波止場』(1960年)、『柔』(1964年)、『悲しい酒』(1966年)、『川の流れのように』(1989年)などがある。

 

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爺さん:「悲しい酒」がいい。

 曲ができた経緯や、カバー曲であった等の裏の顔もあるが。

 しみじみと、一人静かに聴くと「じ~ん」とくるものがある。

 

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昨日は、6月定例町内会役員会を開催した。

 

〇 共同募金会の募金付き「ピンバッチ」を役員分購入し、寄付に寄与する。

〇 「生活便利帳」を購入し、町内会会員に配布する。

〇 夏の交通安全市民総ぐるみ運動街頭啓発への参加

〇 豊平神社例大祭 7月14日・15日の参加者募集 子供神輿 ※山車にウイズハウス社員

〇 7月21日 夏の一斉清掃 実施

〇 夏休み中のラジオ体操

〇 8月18日 とよひらふれあい祭りへの手伝いの周知 ・・・ほぼ全役員に期待

                    ※設営・売店従事員としてウイズハウス社員数名

   ※ 当町内会から演芸の部に3グループが出演予定

     〇フラダンスチーム  〇エクササイズチーム  〇榊原日本歌謡チーム

〇 8月25日 北海道マラソン沿道整理員としてのボランティア活動

〇 9月 町内会日帰りバス旅行 の候補案を仮決定し、バス会社等との微調整を経て決定する。

 

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 花の「女子大生」が、役員のおかあさんの代理で出席してくれた。町内会の活性化や若者目線での提言をお願いした。

 保護者の了承を得られれば、総務の「企画・活性化」担当役員に迎えたいと思った。