豊平神社140年史出版 | dai4bunkuのブログ

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豊平神社140年史出版

令和5年、豊平神社は創始140年を迎えた。

140年記念事業として奉賛会を設立、崇敬者・氏子等の皆様に御寄進をお願いし、社殿の大屋根の修復と、社務所玄関等の改装、社殿内の装飾品の一部の入れ替え等を実施し、残るは「140年史」の発刊となっていた。

 

令和5年の鎮座140年を機に、「140年史」の発刊・編集作業に取り掛かった。もととなる70年記念誌は、A5判の小冊子で、文字が小さく、旧漢字に、カカナ文字であり、飛んでいる部分もあり、この打ち込みに最大の労力を要した。町内会・町連行事を進めながらの作業である。

 老眼の影響もあり、苦労した。それから、写真の収集、同接写作業、全体構成と石碑の事実の検証等に時間を要した。

 

 

140年史の概要がわかるように、編集後記をご紹介させていただきます。

 

豊平神社主祭神 上毛野田道命 (前賢故實)に武具辞典等から時代考証のうえ着色

 

 

 

編集後記

 明治4室蘭街道沿いに本神社の前身である無名の小さい祠が建てられてから今日まで153年、明治17年7月10日の社殿竣功に際し、北海道神宮(当時は札幌神社)の第四代宮司でありました杉戸大角が斎主となり宝祚万歳、風順時、五穀豊穣、村民豊楽を祈念して祭祀を修め、また明治20年3月の暴風で大破した前述の社殿が、同年7月13日に竣功した際、第五代宮司阿由葉宗三郎が斎主となり、遷座の式典を奉修したと記録に残されております。

 

 本年(令和5年)は御鎮座百四十年年記念として7月14・5日の例祭は盛大に行われたが、御鎮座70年記念誌として現した後、その後の経緯等については不明であったことから、御鎮座140年を記念して、以降の歴史を探求し、記念史を編纂することとなり、編集委員に任ぜられた。

 

 豊平神社の歴史の探求は、札幌の開拓の歴史にも探求の幅を広げることであり、資料の収集、

整理には時間を要した。その中で、特異な発見があった。

 

 明治18年に札幌神社(現・北海道神宮)の宮司だった杉戸大角が豊平神社(当時は仮宮)において神宮の分霊を祀る祭祀を行う許可を札幌県令に届けた文書、明治19年に豊平神社(当時は仮宮)において神宮の分霊を祀る祭祀を行う許可を北海道庁長官に届けた文書(札幌県から北海道庁に組織変更した実態を表した文書としても貴重である)。

 

 

 

 また、豊平神社の主祭神である上毛野田道命の御姿を前賢故實、旧国立銀行一円札から発見した。

 さらに、豊平神社の草創期の明治四年ころ、阿部仁太郎が父の故郷の津軽の猿賀神社の主祭神の上毛田道命を祀り小祠を建立したと記録にあるが、その証拠写真を中川昭一氏が発見したので、本文で紹介した。(明治4・5年には、開拓使の写真技師が来札しており、多くの写真が残されおり、北大図書館等に残されている。)

 

 

 この写真は札幌の歴史資料としても貴重な新発見であった。また、神社境内の石碑の中に祖国の存亡をかけた日露戦争で豊平村から出征し、帰らぬ人となった若者の慰霊碑について、碑の篆刻文字を検証した結果、他の多くの文献では「満州戦没記念碑」と紹介されているが、「満州戦役記念碑」と解明した。

 

 さらに、刻まれた氏名は、歴史の風化と戦後の事情で削り取られた痕跡も見えるが、有馬尚経氏保有の高橋憲一著「札幌歩兵第25連隊誌」旧豊平村出身者の同戦闘での戦死・戦病死者は、藤本八太郎、木下和三郎、陣出岩吉、大井染作、大沼甚六、広瀬仁太の6名であることが判明した。

 

 また、70周年記念誌に「阿部由太郎が叙勲の折に明治天皇が御着衣遊ばされた御物一式を拝領し、豊平神社に奉納」とあるが、現責任役員誰一人として確認したことがなかったが、宮司代行・禰宜の努力もあり、現物を発見し、本誌に写真で初掲載できた。

 また、同じく昭和18年11月23日氏子宮下市松が御刀二振りを奉納とあるが、現物も発見したので、写真掲載した。この神刀は、戦後の昭和21年10月1日に官憲の所持許可を得ている。

 

 なお、当神社の歴史を物語る新たな写真多数を中川昭一氏から提供があったので、巻頭にまとめさせていただいた。

 

 

 さらに、豊平神社発展に尽くした阿部与之助の紹介文献が少ないところから、今回一文をまとめた本誌の発刊に当り、関係各位。並びに資料を提供してくださった中川昭一氏や写真の接写作業にご協力いただいた責任役員柴田崇行氏、記念式典の写真撮影にご協力いただいた皆々様に厚く御礼申し上げます。

 

 なお、旭水町内会有馬尚経氏には、資料の探求、編集作業等にご尽力いただきました70年間分の資料の探求は容易でなかった。多くの資料が散逸され、或いは廃棄されており、内容に満足のいくものにはならなかった。

 

 また、「明治4年に小祠が建てられた」との伝承については、北大上田哲司氏の研究論文についても精査させていただいた。阿部仁太郎が現豊平神社地に屋敷を建てたのは明治十三年とあるが、阿部仁太郎の長男、初太郎も二代目仁太郎を名乗り、以下五代目まで仁太郎名を継承し、初代仁太郎が厚別地区に転居したこともあり、詳細資料は豊平神社でも発見できなかったため、あえて伝承の明治4年を修正しなかった。

 

 これについては、北広島市教育委員会が収蔵している阿部家伝承資料等の今後の歴史研究者による検証を待ちたいと思う。

 

 編集委員の責任を果たせて安堵しているが、豊平神社が地域の鎮守さまとして末永くご発展することを願っております。

 

 

追記:「豊平神社140年史」は、発刊数が少ないのですが、歴史愛好家等から既に「販売して欲しい」とのお声がけもいただいております。

 

記念誌104ページ 上製本

表紙布クロスシャンタン 濃紺

表紙&背表紙 箔押し   販売価格5,000円

 豊平神社奉賛会 豊平区豊平4条13丁目 豊平神社内 

〒062-0904

受付時間 9:00 ~ 17:00

011-811-1049  詳しくは、奉賛会にお尋ねください。