豊平神社氏子総代 故 福島利雄 | dai4bunkuのブログ

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豊平神社氏子総代 故 福島利雄

福島利雄氏は、豊平神社氏子総代のほか札幌市議会議員、北海道議会議員も務めた地元の偉人である。「豊平神社140年史」の編纂に当り、氏子総代としての一端を記録されているが、

豊平火葬場の平岸への移転等でも活躍されている。

 

 神宮祭主

 北白川房子様の故人を偲ぶ御歌

 

 北国に  神のみいつを  つたえむと  はげみし人の   今は世になし

 

 在りし日の  姿みえねど  まごころの ふかきがのこる  今日の思い出

 

 

元 豊平神社氏子総代 福島利雄氏

 「福島利雄追憶集」から抜粋転載

 

福島利雄氏の追憶

          豊平神社宮司  三橋吉四郎  記

 

 福島利雄氏は父繁一郎氏の次男として明治二十八年札幌区豊平町に生まれ、強度を愛する念強く永年札幌市議会議員或は同会議員として郷土の発展に尽瘁されたことは洽く世人の識るところであります。また氏は夙に敬神崇祖の念厚く、北海道神社庁協議員、同札幌支部氏子総代会長、神社本庁評議員、伊勢神宮御造営奉賛会札幌支部長、明治神宮復興奉賛会道副本部長、同札幌支部長等神社関係の要職につかれ、其の功績は枚挙に暇ないところであります。福島家は代々神仏崇拝の念篤く祖父利兵衛氏、父茂一郎氏、相継いで当豊平神社氏子総代となり、父君逝去されるや父祖の遺志継ぎ総代を務められた。豊平町の発展と共に当社も益々発展に向かい、昭和十八年郷社に昇格、此間神社鎮座六十周年事業として社務所造影境内地拡張、又七十年記念事業として社務所増築等については率先して事業を推進された。又氏は永年当神社の祭典委員長として年々祭事を盛にされて来た功績も大きい。氏は青年時代から壮士の風格があり、その性は豪放であられたが、反面極めて細心の注意がとどく方であり、神社の諸事業についても萬端お世話をいただいたのである。

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 氏は旅行が好きで町内の人々と、よく方々へ行ったものですが、自ら特異の趣向で一同を喜ばせ、又神職の家族慰安会の旅行等も欠かさず参加して呉れた。忍路へ行ったとき、荒物屋の商品を自ら買〆した景品で、時ならぬ運動会を開いたこともあった。昭和十八年十月、伊勢神宮へ氏が団長となり参詣した時、内宮の第一鳥居の前で外宮から宮内へお出ましになられた北白川祭主様を一同は偶然お迎えできた。

 職員の案内でご参拝もすみ特別な待遇で直会を頂いた。その折祭主様のお使いがあり、祭主様は「北海道札幌の方とはゆっくりお話をいたしたいが日程がないのでこれをお上がり下さい」との事で沢山のお土産を下され一同ありがたく頂戴して感激したことがあった。

 これも氏の如何にお信用の厚く広かったことが思い出されます。翌年四月末青森県の当社御本蛇猿賀神社に氏外、片山、赤塚、菊地、私と共に参拝した。大鰐に泊った翌日早朝弘前市の花見をした。弘前城の満開の桜下遠く津軽富士を望める展望台に陣を取った五名は当日たまたま護国神社のお祭りで参拝した、沢山の遺家族もお花見であった。この遺家族を慰安してやるとのことで、氏のかくし芸が始まって時ならぬ余響が終日展開した。遺族等は、喜んで回りは一杯になった中で、おばあさん等まで展望台に上がって、おどり出すという騒ぎで氏の温情が他県の遺族等迄及んだことが思出されれます。

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 氏はお若い頃から宗教心念が強い方であられ、屡々参拝に見えられた。晩年に近くお孫さんを連れ立って、あの巨体をゆさぶりながら早朝の参道を辿って来られた面影がありありと追憶されます。氏は永年市議会改選毎に当選を重ねられたが、昭和二十六年の改選の際落選されたことがあった。其節神社に来られたとき、此度の落選は健康上(氏は長年の活躍ののお疲れがでてか、喘息、扁桃腺炎等を患っておられた)休養せよとの神の御意志によるものであるから、これを機会に健康増進に専念していただきたいとお慰めの言葉ともなく申し上げたところ、大きくうなずかれ微笑しておられた。昨年の市議改選には見事に当選された。市議会議長に推された十月全国市議会議長会議に出席のため上京された前日参拝の折たまたま胃の手術を受け病臥中の私を夫人同伴で見舞いにお出になり『君は普通の身体でないのだから充分保養されたい』と励ましてお帰りになられたが、会議から帰られて間もなく病魔に侵された、怱然として他界されました事は惜しみても余りあることで、札幌市政のためにも郷土のためにも、且又神道昮揚のためにも大きな人材を失ったことを氏を追憶することに感を新たにするのであります。

 以上。