豊平開拓の恩人 阿部与之助 | dai4bunkuのブログ

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豊平に美田を開き町勢発展に尽くす

阿部与之助功労碑

 

 阿部与之助は、天保十三年十二月十一日、山形県飽海郡南平田村字北俣で、父忠五郎の五男二女の三男に生まれた。

 与之助の生家は貧しく、一家をあげてわずかな田畑を耕すかたわら、日雇などをして細々ながら、その生計をささえていた。

 明治に入ってから、北海道が前途有望の地であるとの前評判に、農民の移住が相次ぐなかで、与之助の夢は大きくはばたき、父母の許しを得て北海道に渡ることになった。

 

 明治三年七月、単身三十歳で故郷を後に、酒田港から岩内に渡ったが、未知の土地では職がなく、やむを得ずある網元(漁師の親方)に雇ってもらい、農業自営の目的達成を目指して。浪費遊蕩の誘惑にまけず貯蓄に励んだという。

 

 こうして蓄えた資金五十余円で、岩内近辺に農地を求めたが適地がなく、翌年七月、札幌に移ってある商店で働きながら、さらに資金を蓄えることに専念した。

 

 しかし、こうした与之助のもとにきた生家からの便りには、与之助が家を出た後は、ますます貧困の度を深め、毎日の衣食にも事欠く窮状がこまごまと書かれてあった。

 

 それを知った与之助は心の痛みに耐えられず、同年十月半ば、資金を懐中にして一路郷里へ急いだのであった。

 

 だが、与之助は北海道での開拓の夢を捨てきれず、翌五年の春、再び札幌にもどり、以前の商店で働いたが間もなく倒産、やむなく小樽に行ったが職がないため、多少の経験を頼りに季節漁夫になり、漁期が終わると札幌にもどって、雑役夫をしながら、貯蓄に専念したという。

 

 そして、明治六年、白石村で畑を借りて、大麻栽培を試みたが、これは失敗に終わったため、この機会に本格的な営農を目指し。当時、人家まばらな豊平村に、永住することを決心した。

 

壮大な夢実る

 与之助は、かつて豊平川の渡し守をしていた志村鉄一から、一反歩(約十アール)の土地を六十五円で買い求め、最初十円を支払い、残額を分割払いにしてもらったという。

 

 そして、そこに茶屋店を開き、妻のチノは生うどん、餅、酒類、シカの肉などを商い、与之助は、開墾のかたわら雑役夫をするなど、夫婦力を合わせて資金の蓄積に努めた。

 

 与之助は蓄えた資金で耕地を買い、あるいは土地の払下げを受け、開墾に精を出したので、十年もたたないうちに、百四十町歩(百四十ヘクタール)もの広大な田畑を所有する、村内有数の地主となった。

 しかし、このように多くの土地を所有したのは、ただ単に子孫に資産を残そうというのではなく、明治維新の社会的変動の中で、生活に苦しむ郷里の人々を救済したいという願いを実現するためであった。

 

 このため与之助は、数回にわたり郷里から六十三戸の農民を誘致して入植させ、水田を造らせ稲作を奨励したのであるが、これは「農家の生活安定は主食から」という、一貫した信念に基づく営農方針であったという。        

  

 さらに稲作発展のため、用水路建設の必要性を説き、豊平・平岸。白石。上白石の四カ村連合の用水路建設に多くの私費を投じたという。

 また、開拓が進むにつれて、森林の荒廃が目立ちはじめた明治十九年以降に、山野千二百町歩(約千二百ヘクタール)の払下げを受けて、造林、育苗の事業を起こし、林業の普及に力を入れた。

 一方、道路や橋の建設、小学校の創設、消防組の編成、役場庁舎建設費の負担など、多方面にわたる業績があり、

 

 それに対して、その都度、時の道庁長官から表彰され、さらに明治三十七年には、藍綬褒章を下賜されている。

 その後、公職を退き自適の余生を送ろうとしたが、村人たちはなおも与之助の意見を聞き指導を仰いだという。

 こうして、与之助は赤貧から身を起こした、初志を貫き、村人の敬慕を一身に集めながら、七十二歳の生涯を終えた。 

 

単身度道の苦闘

 かつては、札幌市中を一望におさめることができた、月寒公園高台の老松につつまれた築山に、阿部与之助功労記念碑が建っている。

 この碑は、豊平村の発展に多くの功績を遺した、阿部与之助の功績をたたえて、豊平町開町五十年記念の式典が催された大正九年九月、当時の有志によって建てられたものである。

 

 なお、阿部与之助は、明治十七年の豊平神社創始時の氏子総代の一人であり、初代阿部仁太郎

仁太郎の次男阿部由太郎らとともに尽力した。明治20年3月の募風雨で神社社殿が大破したため、阿部仁太郎・阿部与之助らが中心となって神殿の改築に尽力した「豊平神社70周年誌」に記録され残っている。

 

 

月寒公園の阿部与之助功労記念碑