福まち爺様の人生論 絶対の幸福を「無碍の一道」 | dai4bunkuのブログ

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  □ 名著「歎異抄」には、

      絶対の幸福を「無碍の一道」と

 

出典:長南瑞生 生きる意味109 一万年堂出版

 

 この絶対の幸福を「歎異抄」には、「無碍の一道」とも言われています。

「無碍の一道の」の「碍」というのは、さわりですから、幸せを妨げるものです。

「無碍」とは、「さわりが無い」とありますが、お金が儲かったり、病気が治ったりするわけでないので、さわりがさわりのまま、さわりにならないということです。

「一道」の「道」は、世界ということですので、たった一つの世界、絶対の世界ということです。

 ですから、「無碍の一道」とは、さわりがさわりのまま、さわりとならないたった一つの世界「絶対の幸福」のことです。

 

 人生最大の問題である死の問題、後生の一大事を先に解決することによって、一切のさわりが、さわりとならない「無碍の一道」へ出られるのです。

 このように、すべての人が共通して求める生きる目的は幸福ですが、それが一時的な、続かない幸せでは、心からの安心も満足もありません。変わらない幸福になることが、万人共通の生きる目的です。

 

 それには、お金や、財産、地位、名誉、自己実現のような相対の幸福ではなれません。

「後生の一大事の解決」によってのみ、死によっても崩れない絶対の幸福になれると、仏教では教えられています。

 

 それが、生まれてから死ぬまでに果たさなければならない本当の「生きる目的」であり、それを果たすことこそ、本当の「生きる意味」なのです。

 

 約二千六百年前、釈迦が説かれた仏教は、インドから中国、中国から朝鮮半島を経て日本へと伝えられ、たくさんの人々が、この本当の生きる目的を知り、変わらない幸せに救われてきました。

 その中で本当の生きる目的を果たした人を、一人挙げるとすれば、約八百年前、日本の鎌倉時代に活躍された親鸞聖人です。

 

 親鸞聖人は、この釈迦の教えによって、29歳の時、人生の目的を果たされました。

 その時の喜びをこう記されています。

 

慶ばしきかな、心を()(せい)の仏地に()て、念を難思法蚊海に流す。深く如来

矜哀(こうあい)を知りて、(まこと)に師教の恩厚を仰ぐ。   (「教行信証」親鸞聖人)

 

「よろこばしきかな。親鸞はうれしい。何という幸せ者か。一切が崩れる中に、決して崩れることのない不倒の大地に心をたてた。こんな想像もできない世界に行かされたことを喜ばずにおれない。全く仏教力不思議であった。こんな素晴らしい世界があることを伝えてくだされた、釈迦はじめ、インド・中国・日本の高僧方のご恩を喜ばずにおれない」

 このように、絶対崩れない絶対の幸福になった喜びに満ちています。

 

「絶対の幸福」になったら

  心の風景はどう変わるか

 では、その「絶対の幸福」とは、どんな世界なのでしょうか。その心の風景をこう記されています。

 

   大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆

   禍の波転ず。

(「教行信証」親鸞聖人)

 

大悲(だいひ)(がん)(ふね)」とは、「難度(なんど)の海を度する大船(たいせん)」と同じです。「大悲(だいひ)(がん)(ふね)に乗じて」ですから、人生の目的を船に例えて、「苦しみ悩みの絶えない人生の海を、明るく楽しく渡す大きな船がある。その船に親鸞は乗った」ということです。

 これは乗ったかどうか分からないような船ではありません。「自分は乗っただろうか?」という人は、まだ乗っていない人です。乗ったその時、ハッキリします。

 では、どうハッキリするかというと、

 

光明(こうみょう)広海(こうかい)に浮かびぬれば」、光明の広海に浮かんだと言われています。沈んでいた人のみに浮かんだということがあります。

 

 「それまで沈んでいた苦しみの海が、光明輝く広い海に転じた。何のために生まれてきたのか分からない暗い人生が、人間に生まれてよかったという明るい人生になった。狭くて苦しい人生が、広くてさわりのない人生になった、無碍の一道へ出た」

ということです。

 人生には、これで達成したというゴールがあります。生きている時に、その人生の目的は達成できるのだ、ということです。

 

 その目的を果たしてからは、明るく楽しい人生になりますので、その人生の味を、

 

()(とく)(かぜ)(しず)かに、(しゅう)()(なみ)(てん)ず」と言われております。

 

「至徳の風静かに」とは順境の時です。

 

「衆」は、いろいろの「禍」は災いです。

 人生の目的を達成しても、悪い行いをすれば、悪い報いは、やってきます。

「衆禍の波」が来なくなったとは言われていませんので、やはり不幸や災難は来るのです。飛行機でいえば、機内映画がつまらない場合、それが名作名画に早変わりするわけではありません。つまらないものは、つまらないままです。ところが、そんな人生のいろいろな不幸や災難が、そのまま「衆禍の波転ず」、喜びに転ずるのです。どんなさわりも、さわりとならない無碍の一道です。

 人生には、順境か逆境かの、どちらかしかありませんから、「順調でよし、逆境でよし、順逆ともによし」の無碍の一道、絶対の幸福です。

 

 「仏教を学びたかった・・・・

   20世紀最大の列学者ハイデカーの後悔

 20世紀最高の哲学者といわれるハイデカーは、晩年に親鸞聖人の明らかにされた仏教の教えに出会い、衝撃を受けています。

 

   今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。(中略)

   もし、十年前にこんな素晴らしい聖舎が東洋にあったことを知ったら、自

   分はギリシャ・ラテン語の便虚もしなかった。日本語を学び聖者の話しを

   聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。

(ハイデガー)

 ここで、ハイデカーが勉強しなくてもよかったと言っているギリシャ語とラテン語は、どちらも極めて難しい言語ですが、プラトンやアリストテレスはギリシャ語ですし、中世の文献はラテン語ばかりですから、本気で西洋哲学を学ぼうと思ったら必要不可欠です。

 

 ハイデカーは晩年、「そんな西洋哲学より、仏教をまなびたかった・・・が、時すでに遅し」と後悔しているのです。

 

 それに対して私たち日本人はそんな後悔をする必要は全くありません。ギリシャ語やラテン語はめったに勉強しないかわりに、ぎりしゃ・ラテン語級に難しい日本語は、小さい頃からペラペラですから、誰でも分かりやすく仏教を開けます。ひょっとしたら世界一、絶対の幸福に近い国かもしれません。ましてやここまで読まれたあなたは、もうあと一歩です。

 

 目先のことに追われる前に、

   人生最大の問題の解決を

 

 ところが、それでもそのあと一歩を踏み誤る、最も大きな要因のひとつが、死の問題の理解不足にあります。その不覚を避ける重要ポイントを、戦国時代から江渡時代にかけて、多くの敵を相手に勝利した、つわものたちの戦術から知ることができます。

 

 織田信長がまだ二十代の頃、ようやく尾張を統一すると、すぐに織田家存亡の危機がやってきました。隣国の今川義元が、京へのぼるため、大軍を率いて押し寄せてきたのです。その数二万五千。配下には後の将軍・徳川家康を擁する実力者です。

 迎え撃つ織田家では、兵をかき集めてもせいぜい四、五千。家臣たちは真っ青になって、あわてふためきます。一体信長は、どのようにこの窮地を乗り切ったのでしょうか。

 やがて今川勢が砦を攻撃し始めると、信長は何を思ったのか、なんと。寝てしまいます。さすがはうつけ者、「織田家ももはやこれまで」と、家臣たちも引っ繰り返ります。

 ところが翌朝、信長は、ぱっと目を覚ますと、おもむろに兵を率いて出撃します。その間にも砦の一つが家康の手により陥落、それを聞いた今川義元、勝ったとばかりに桶狭間で休憩を取り始めます。

 

 その情報を聞きつけた信長は、「勝機は我にあり、全軍続け!」と運命の地へ急行。おりしも降り始めた激しい雨に紛れ、休憩中の今川本体を発見すると、「狙うは義元の首一つ、者ども、かかれ-!」他の兵士には目もくれず、義元一人を目掛けて襲いかかります。

 

 すっかり、油断していた今川義元は、びっくりぎょうてんして逃げまどいますが、ついに討ち取られます。総大将を失い、総崩れとなった今川勢は、潮が引くように退却していきました。こうして信長の天下取りが始まるのです。

 

 

 関ヶ原のK合戦の後、剣豪・宮本武蔵が京都に上り、天下の吉岡道場を打ち破った時もそうでした、一回目の決闘では、当主、吉岡清十郎に一撃で勝利します。

二回目は、仇討ちに臨んだその弟吉岡伝七郎をやはり一刀のもとに撃破。

復習に燃える吉岡一門は、三回め、清十郎の子・又七郎を立てて、全員で勝負を挑みます。いくら武蔵とといえど、何百人もの剣士に取り囲まれては、さすがに勝ち目はありません。

 そこで、武蔵は、吉岡一門の到着と同時に、大勢の門弟の中心にいる又七郎を一瞬で見抜き、真っ先に直行して一刀両断してしまいます。

 

 いきなりトップを失った門弟たちは大混乱。その間に武蔵は脱出します。こうしてたった一人で、武名高き吉岡道場を完膚なきでに打ち破ることができたのです。

 このように、なぜ織田信長や宮本武蔵が、数の上で優る敵と戦って、一歩も引けを取らなかったかというと、まず最も重要な親玉を見極め、真っ先に一刀両断しています。

 

 すると、残りは浮足立って問題にならなくなるのです。まずこの、最強の親玉を最優先で倒すことが、命を懸けた戦いの、一つの勝利の方程式でした。

 

 ちょうど、人生でも、数多くの苦しみ悩み、トラブルや困難が、次から次はと襲ってきます。入学試験や就職活動、会社のノルマや突然の事故。借金や病気、子供が悪の道に走ったりと、目の前の問題もかなり手強いので、いつもそれに手一杯。

 

 へとへとになりながら対処していきます。ところが、一つの問題が終わると、次の問題がやってくる。人生で苦しみ悩みが三日以上なくなることはありません。もしあれば、それは何かをわすれてうるだけで。もうすぐもっと大きな困難がやってくるでしょう。

 そうして、目先の問題の対処に心を奪われているうちに、あっという間に人生はすぎ去って、ある時、何の前触れもなしに、人生最大の大問題が襲いかかってくるのです。

 

 それが、今まですっかり忘れていた、死の大問題です。最強の敵が予想もしなかったような所から突然奇襲をかけてきますから、全くますすべはありません。あえない最期を遂げることになります。

 ところが、そのもっとも重要な詩の大問題を、きている時に、真っ先に解決すれば、あとの問題は問題になりません、さわりがさわりのまま、さわりとならない無碍の一道へ出られるのです。

 

「どういきるか」という生きる手段の問題はどこまで行ってもキリがありません。織田信長や宮本武蔵が、最も重要な親玉を真っ先に倒したように。完成のある、人生最大の問題を先に解決するのがポイントです。

 

 それはちょうど、夏休みの宿題のような個のです。

 小学校の時、夏がやってくると、長い夏休みに入ります、7月下旬から始まって、8月31日までの約40日間、学校が休みになってしまうのです。ただしその分、自由研究や読書感想文、絵日記や算数ドリル、漢字ドリルなど、40日分のたくさんの宿題もついてきます。

 それでも、7月も15日も過ぎると「早く夏休みにならないかな」と、わくわくそわそわ、みんな浮かれた雰囲気になってきます。

 

 そして、ついに一学期の終業式を終え、夏休みに入ると、「やったー、何して遊ぼうか」と思いを巡らせ、友達と遊んでいるうちに、何も宿題をせず、7月が終わってしまいます。

 「まだ30日もあるから大丈夫」と思いますが、8月に入ると、海にも行かないといけないし、山にも行かないといけない。お盆には、おじいちゃん・おばあちゃんの家にも行かないといけない。「このままだとまずい」とはうすうす気づきながらも、いろいろな所へ行っているうちに、何も宿題をしないまま、あっという間に8月も半ばを過ぎます。

 

 ところが8月後半に入ってくると、全然やっていない夏休みの宿題が相当気になってきます。

 8月下旬には、全校登校日があって久しぶりにクラスのみんなと会うと、もう自由研究を終わらせて、持ってきている友達もいます。さすがに焦ってきますが、それでも40日分の膨大な宿題を思うと、なかなかやる気がしなくなってしまいます。

 

 最後の登校日の後は、もう遊んでいても楽しめません。みんなでサッカーをしていても、宿題どうしようと思うと、心が暗くなってしまいます。

 夜は花火大会に行っても、何となく焦ってきます。焦って花火を見てもしかたがないのですが、何か心にわだかまりを抱えて、楽しめません。

 

 友達とテニスをしてみても、宿題が心に浮かぶたび、真っ青になって空振りしてしまいます。宿題が残っている限り、テニスが手につかなくなってしまいます。8月31日が近づくにつれて、焦りが大きくなっていき、何をやってもむなしくなってしまいます。

 

 ついに夏休みの最終日、お父さんにも、お母さんも手伝ってもらい、一家総出で宿題をやっても追いつかず、翌日の9月1日学区に行くと。先生に怒られて、泣きながら居残りで宿題をする、みじめな夏休みになってしまうのです。

 

 こんな悲惨な夏休みにならないためにはどうすればいいのでしょうか。

 

 きっとあなたもそうだと思いますが、賢い友達は、実は7月中に夏休みの宿題を終わらせてしまっているのです。

 

 すると、宿題を全部終わらせてしまった後の夏休みは、心の底から楽しむことができます。サッカーをやっても、花火大気に行っても、何の不安もなく熱中できますから、充実感が全然違います。宿題を後回しにする愚か者に比べ、賢い友達は、やっている宿題の量は同じなのに、夏休みを思い切り楽しむことができるので、最後に「とっても楽しい夏休みだった!」大満足できる、最高の夏休みを過ごすことができるのです。

 

 同じように、死の問題である後生の一大事の解決は、やがて100パーセント確実に直面しますから、すべての人に課せられた、人生の宿題のようなものです。しかも、死ぬ時だけが苦しいのではなく、後回しにすればするほど。何をやっても、何を手に入れても、心から楽しめず、人生の制限時間だけが減っていきます。

 

 人間を「死に向かう存在」と規定したドイツの哲学者ハイデガーは。その未完の主著「存在と時間」の中に、

 

  死に臨む存在は、本質的に、不安である。           (ハイデガー)

 

と言っています。なすすべもなく死に向かう人生の、本質的な気分は不安なのです。その解決をしない限り、何をやっても、何を手に入れても、人生を楽しめるはずがありません。

 時間が経てば経つほど、えたいの知れない漠然とした不安が大きくなっていきます。そして、ある時、突然、自分の死に直面して、すべてに裏切られて死んでいくのです。この人生の宿題は、死ぬまでには必ず果たさなければなりません。

 それが速ければ早いほど、その後の大安心大満足、心から明るく楽しい人生が長くなります。

 

 どんな人でも仏教を聞けば、後生の一大事を解決して、人間に生まれてよかったという絶対の幸福、無碍の一道へ出ることができますかすら、ぜひそこまで仏教をお聞きいただきたいと思います。

 

  おわり。

 

 爺様:

 結論は、生きる意味とか。死の問題は、意味が深いので仏教を開き理解を深めようということになります。

 ずっと引きずってきたから、ヒントか答えを分かりやすく教えてくれると思っていていました。

 答えは、「仏教をお聞き下さい」ですから、さとりを開かないと解決できないと、思いました。

 

 

 歎異抄については、親鸞聖人が自ら著したものでなく、著者の名が記されていない。そのため諸説があるが、本文中にその名が見られる唯円房を著者とする説が有力である。

 

 親鸞聖人の在世の頃より、人々の間に、真実の信心と異なる誤った考えが生じていた。本書は、聖人から直接教えをうけた著者が、聖人がお亡くなりになった後、これらの誤った考えが生じたことを悲歎し、同じ念仏の道を歩む人の不審を除くために著したものである。この書に述べられているのは、異端を弾劾するといった冷やかな批判ではなく、真実の信心を見失っていく人々への深い悲しみである。それは、著者自身によって付せられた「歎異抄」という題号からも明らかである。

 

 まず巻頭に、撰述の意図を示した漢文の序があり、続く本文は、著者が直接聖人から聞いた法語を収録した前半の10条と、さまざまな誤った考えを挙げて著者自身の歎異を述べる後半の8条とに分れ、最後に、聖人の法語を回顧しながら、あらためて悲歎のおもいを述べている。このうち第10条は、その後半に誤った考えの生じたことを歎く文があり、第11条以下の序の体裁をとっているとも見られる。

 現存するものの中では、本願寺第8代宗主、蓮如上人の書写本がもっとも古く、これには承元の法難(承元元年・1207)のときの流罪記録の文と蓮如上人の奥書がある。

 

 この蓮如本を下に、いろんな人が解説本を書いていますが、親鸞聖人の口伝を弟子にあたる

唯円房が著したものであること。時代を遡り、鎌倉時代であったことも、時代背景として、法然、親鸞が続いて、本願を説き、布教してきたことも理解しておく必要があります。

現代語訳と原典を比較しながら、何冊か購入して読みましたが、深く深く、凡人にはとても、とても。・・・と自覚したところです。(合掌)