井の中の蛙 大海を知らず
今朝は、朝4時30分起床。5時前には、町内地域の清掃に従事した。落ち葉が少なく久しぶりに楽をした。
しかし、犬の散歩に出会わなかった。初めてのことで、寂しかった。
さて、今回の雑学は「井の中の蛙 大海を知らず」には続きがある。
「井の中の蛙」という言葉、どこかで耳にしたことがあるかもしれません。
実は、この言葉にはさらに後に続くフレーズがあることをご存知でしょうか。
「井の中の蛙大海を知らず」⇒(いのなかのかわず たいかいをしらず)
このことわざは中国の古典を元にして、日本で形作られました。その意味について、weblio辞書から引用させていただきます。
狭くて閉じた世界観の中にあり、広い世界を知らないさま。
また、そのような状態にある人。井蛙。(引用:weblio辞書「井の中の蛙」)
つまり、自分をとりまく狭い範囲で落ち着いていて、もっと広い視野で物事を捉えることができない様子をあらわしています。狭い世界に生きて広い世界のことを知らない、
ということです。
「井の中の蛙大海を知らず」の原文
「井の中の蛙大海を知らず」の原文は、中国の古典「荘子」にあります。
<原文>
「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。」
井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからざるは、虚に拘(かかわ)ればなり。
(引用:三省堂Word-Wise Web)
訳すと、「井戸の中の蛙と海のことを語ることができないのは、蛙が虚(くぼみ)にとらわれているからである」となります。
確かに、自分にとって全く知らない世界観のことを話されても、理解できないというのが正直なところでしょう。視野を広く持つことの大切さについて述べているのです。
原文の「井蛙(せいあ)」という言葉はなじみが薄く分かりづらいですが、「井の中の蛙」にするとイメージが湧きやすい。
「井の中の蛙」は正式には「大海(たいかい)を知らず」という続きがある。しかし、実はさらにその後にも続きがあるのです。 ⇒「されど空の深さ(青さ)を知る」
「狭い世界で一つのことを突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができた」という意味でしようか。
蛙は狭い井戸の中での生活において、唯一外に見える「空」も毎日眺めていたでしょう。通常なら見過ごしてしまうような、微かな空色の変化にも気づいていたかもしれません。
人間の世界においても、例えば研究者や職人など、一つの分野を突き詰めている人の中には世間一般のことを意外に知らないという人もいます。
ですが、その一つの分野については誰にも負けない知見を持っているもの。
井の中の蛙は大海を知らないかもしれません。ですが空の深さを知ることができます。これは、狭い一つのことに集中した人だけが知りうる世界がある、ということでしょう。
「されど空の深さ(青さ)を知る」
実は、このフレーズは後になって日本で付け加えられたと言われています。中国の古典の方に上記のニュアンスはありません。
これが明確に誰の言葉かというのは明らかになっていませんが、小説家などさまざまな人物が「井の中の蛙」を文章の中で取り上げるとともに、各々が独自の解釈を付け加えました。
例えば、陶芸家の河井寛次郎氏は「井蛙知天──井の中の蛙、天を知る」という言葉を残しています。これは「井の中の蛙だって、誰よりも天のことは知っています」という主旨です。
こうした文章表現が世に出てくるなかで、だんだんと「されど空の深さ(青さ)を知る」という現在のフレーズに固められていったと考えられます。
爺様附録
井の中の蛙と似た意味を持つ類語には以下のようなものが挙げられます。
・ひとりよがり
・世間知らず
・ガラパゴス化
・夏の虫氷を笑う
「ガラパゴス化」とは、ガラパゴス諸島が周辺諸国からの影響を受けずに、珍しい固有種の多い独自の生態系を持つようになったことになぞらえたビジネス用語。
日本の携帯電話が独自の進化を遂げたことで「ガラパゴスケータイ=ガラケー」と呼ばれたことは有名です。
ガラケー自体が素晴らしいものであっても、グローバルスタンダードの流れに押されて変革を余儀なくされるさまは「井の中の蛙」と似ている部分があります。
爺様も遂に「ガラケー」を諦め、「スマホ」なるものに切り替えた。操作方法に悪戦苦闘中。
「夏の虫氷を笑う」というのは、夏にだけ生きている虫は冬の氷そのものを知らないから、もし氷に直面したとしても笑ってしまう、という意味です。
犬友に遇わなかったものだから、寂しさの余り、ネタが「雑学」になってしまった、

