爺様の話:待望の雨と「餓鬼道」 | dai4bunkuのブログ

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待望の雨と「餓鬼道」

札幌に待望の雨が降った。雷も鳴った。花壇の花々は嬉しかったろうに。

 

 

豊平神社の御祭神「上毛野田道命」のご利益かと感謝します。

 

人間には欲がある。”欲”にはキリがないが、もう少し多めに降らせて欲しかった。

 

「仏心仏語」から餓鬼道

梅庭昭寛 師 著 「仏心仏語」

 

 

 

   断食療法をした人の話を聞いたことがある。それで病気が治るかどうかは別として、その時の体験談に興味深いものがあった。

 始めてからの一週間程は、見るもの、聞くもの、匂うもの全てが食に結び付き、まさに仏教で言う餓鬼道とは、このことかと思ったそうである。

 

 その時期を過ぎると不思議と身体が軽くなり、意識も澄み切った状態になると、食への欲望が薄れるばかりか、逆に人が集まって物を食べている様を見ると、あたかもいくら食べても飽き足りない餓鬼のあさましさをすら感じたという。

 

 この話を聞いて、仏典が述べるすさまじいまでの餓鬼道の描写は、あながち想像力の産物とはいい切れないのではないかと思った。

 

 たとえば、ある餓鬼(女性であろう)は、昼夜に5人ずつ子供を産み、それを次々に食べてもなお飢餓に苦しみ、またある餓鬼は自分の頭を割って脳を取り出して食べるという。

 

 おそらくこのような描写は、食への執着から自由になった者の目で透視した人間世界の光景そのものではないか思われてならない。

 

 飽食の時代だという、それとは裏はらに、千年も昔の仏教画が描く足がなえ腹だけが異常に膨らんだ餓鬼の姿が、今日の飢餓に苦しむアフリカの子供達の写真に重なり合う。

 

 仏教が語る餓鬼道とは、この飽食と飢餓とが一連の山と谷でつながった世界を示したものではないだろうか。

 

 

爺眞:飽食の時代・・・テレビ番組の「大食い」「早食い」等々の番組を観ていると、「餓鬼道」の世界を連想する。いいかげんにしてほしいと思う。