爺様の話    新開発の退位儀式  | dai4bunkuのブログ

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新開発の退位儀式

 

 退位と即位の儀式があって新しい令和の天皇が立たれた。今回の儀式は日本史上の転換点といえる極めて新しい儀式であった。

 

 古来の譲位の儀式は約1,300年前の持統天皇(在位690~697年)から文武天皇(同697~707年)の時代に骨格ができて定まった。

 それから、約1,100年前の「貞観儀式」という皇室儀礼の教科書ができて定まった、といってよい。

 

 ところが、近年は譲位の儀式そのものがなかった。江戸末期に譲位した天皇がなかったうえ、明治新政府の伊藤博文が天皇を「終身在任」で制度設計したため。退位する天皇がおられなかったからである。

 

 しかし、私の勤務先・国際日本文化研究センター名誉教授・村井康彦先生の研究結果でも、むしろ譲位するのが日本の皇位継承の国際的特徴である。(村井康彦「王権の継受―付改常典をめぐってー」)。

 

 中国の皇帝も琉球の王も、日本のように譲位が通常ではない。朝鮮王朝も原則は終身在位で、譲位は三割にとどまる。特に政権が安定している場合は終身在位が多い。世界の帝室・王室と比較しても日本の皇室の譲位のならいは際立っている。

 

 江戸期の天皇の継承には無言のルールがあった。

<1>十代後半の跡継ぎ得られると譲位する。逆に<2>跡継ぎが十代後半に達しないと譲位しにくい。理由がある。

 

 天皇は歌会始めなどの歌会を催す。跡継ぎには立派に和歌が詠める年齢が求められた。近世天皇は天皇のつとめが果たせる皇嗣を育てて譲位するのが理想とされたのである。

 

 ところが、江戸期の宮廷は幼児には過酷で保育に向かない環境であった。皇子の死亡率は高く、三歳までに世を去る方が多かった。そのため天皇は譲位したくても十代後半に達した皇嗣がなかなか得られず、在位のまま崩御される天皇もあったのが実情であった。

 

 それで、江戸末期は皇子の死亡率の高さから、仁孝天皇(在位1817~46年)も孝明天皇(同46~67年)も譲位できず、その後、明治・大正・昭和と終身在位制をとったため、200年以上も退位する天皇がなかった。それで今回、退位の儀式をするにも、前例となるのが、なんと202年前の光格天皇(同1780~1817年)の譲位となってしまった。

 

 しかも、憲法もない国民主権もない時代の儀式である。前回の光格天皇の譲位儀式をそのまま踏襲すると、現行憲法に抵触するおそれが濃厚であった。光格天皇以前の譲位儀式は「宣命」という日本古来の天皇のお言葉をお使いの公家が代読する形式をとった。

 

 その文章は決まり文句であって、現代日本語に訳せば、こうである。

  「現人神として日本の島々を治める天皇の命令を皇族・臣下・役人・転訛公民みな聞

   けと宣言する。朕(天皇)は(徳の)薄い身で天皇の位を受けてより多くの年を重

   ね、天下の重責に弱い肩は久しく耐え難い」「皇太子と定めた親王に天皇の座を授

   ける」

 

 現人神として日本を統治する天皇は旧帝国憲法第一条の「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」や、第三条の「天皇は神聖にして侵すべからず」には適合しても、天皇の人間宣言や現行憲法の国民主権には合致しない。

 

 そこで今回の儀式では、まず総理が国民代表として「皇室典範特例法の定めるところにより、ご退位されます。」と発言した。これに答えて先の天皇が「親から子に譲位する」でなく、「天皇のとしての務めを終えることになりました」と。法が主体を受け入れる形の「おことば」を述べられた。まさに新開発の儀式である。これが現行憲法の象徴天皇制下の退位儀式の先例になっていくのであろう。

 

磯田道史 著 「日本史を暴く」

 2021年より国際日本文化研究センター教授 史学博士

 

 

爺様;

 

先の天皇の退位の儀式は、現行憲法下での初めての儀式であり、政府・宮内庁始め、関係諸官庁にあっては、相当のご労苦があったと推察するばかりである。

 

 上皇様ご夫妻はお住いの吹上仙洞御所において、おすこやかにお過ごしのことと存じます。

  

国民の一人としてご長寿を願っております。