爺様の話 「月のうさぎ」 ウサギの悲しくも、痛いまでの真心を! | dai4bunkuのブログ

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身を捨てたウサギ 面影を永遠に月に映し給える

 

 俳句の季語に「盆の月」というのがある。盂蘭盆会の夜の月のことで、旧暦の7月15日になる。中秋の名月とは季節的にも、気持的にも、また違った雰囲気を持った月である。 

   日本において、古来より、月とウサギとは縁が深いものとされているが、これは『ジャータカ』とよばれる古代インド(紀元前三世紀頃)の仏教説話に、その源流があるといわれている。ご紹介しましょう。・・・  

 

 むかしむかし、あるところにウサギとキツネとサルの三匹が棲んでいた。ある時彼らは話し合った。

 

「われらは、前世に罪障が深かったため、獣として生を受けた。この上は、後世のため、この身を棄ててでも、菩提の心を奮い起こそう。また、どんなことでも、自分のことは後回しにして、他人のことを先にすることを誓い合おう。」

 

 この話を聞いていた帝釈天は、「獣でありながら、実に感心な者たちだ。その清らかな心がけは、実に見上げたものである。

  ならば、まことの菩提心があるかないか、試してみることにしよう。」といって、老人の姿になって、三匹が棲んでいるところへ出向いた。そして、三匹の姿を見つけると、悲しそうに声をかけた。

 

 「わしはご覧のとおり、年老いており、身寄りも貯えもない。わしを養ってはくれまいか。」この老人の話を聞き、三匹は、快くその申し出を受け入れた。

 

 さっそく、サルは木によじ登って木の実を集めたり、里に出かけて食べ物を探してきた。

  キツネは、川で魚をつかまえ、持ち帰ってきた。そのおかげで、老人は、毎日、食に困るようなことはなかった。

  

 老人は、その都度、サルとキツネを労い、大いにほめた。一方、ウサギは、いつもサルとキツネだけがほめられ、自分だけが老人に何も食べさせることができず、心が落ち着かなかった。毎日、朝早く起き、長い耳をピンと立て、赤い目を光らせ、鼻をヒクヒクさせながら、四方を駆け回った。

 

 しかし、ひ弱なウサギには、老人の腹を満たすような獲物を捕らえることなどできなかった。

 

 そんなウサギに対してサルとキツネは、わざと辱めたり、ののしったり、バカにしたりもした。

 ウサギは、ふと、首をかしげて考えた。「自分は小動物なので、獲物を見つけるどころか、山野を駆け回っているときでさえ、人間や猛獣に襲われはしまいかと、ビクビクしていなければならない。それならばいっそのこと、この身を老人に捧げてしまった方が、いいのではないか。」そう決心したウサギは、皆のいるところに戻ると言った。

 

 「今から、わたしが美味しいご馳走を持って参りますので、皆さんは、木を拾ってきて、火を焚いて待っていて下さい。」そういい終わるやいなや、ウサギは一目散にどこかへ駆け出していってしまった。

 

 ウサギの話を聞いた老人とサルとキツネは、ウサギがどんな物を持って帰ってくるのかと、胸をワクワクさせながら、焚き火の準備にとりかかった。火がゴウゴウと音を立てて、勢いよく燃え上がった頃、ウサギは戻ってきた。

 

 しかし、その手には、何も持っていなかった。サルとキツネは、だまされたと思い、「おれたちをだますとは、酷い奴だ。木を拾ってこいだとか、火を焚きつけておけだとか、さんざん人をこき使っておきながら、手ぶらで帰ってくるとは何事だ。お前は、自分が暖まりたいから、そんなウソをついたんだな。」と、激しくののしった。だが、ウサギはそんなことばには耳を貸そうともせず、静かに、こういった。

 

 「皆さん、わたしはウソをついたのではありません。わたしには、獲物を捕らえることが出来ません。せめて、この身をもって供養させていただきます。」話し終わるや、ウサギは、パッと燃えさかる火の中に飛び込み、そのまま焼け死んでしまった。

 この意外なできごとに、老人姿の帝釈天は大いに哀れみの心を起こし、ウサギのこの純真な真心を永遠に残しておこうと、火の中に飛び込んだウサギの姿を月の中に宿し、すべての人々に見せることにしたのである。・・・・・・・・・・・

 

 いかがでしょうか。盆の月を眺め、ウサギの悲しくも、痛いまでの真心を感じてください。

 

『今昔物語集』第五巻第十三話「三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語」には、捨身慈悲滅私献身の象徴としてウサギが描かれる。

 

 昔「今は昔、天竺に兎・狐・猿、

 

 

 

 

(みつ)の獣ありて、共に誠の心を

 

 

 

 

(おこ)して菩薩の

 

 

 

 

(どう)を行ひけり」に始まり、「

 

 

 

 

(よろず)の人、月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし」で終わる説話のあらすじである。

 

 ※  帝釈天(たいしゃくてん)梵天(ぼんてん)と並び称される仏法の守護神の一つ。

 もとはバラモン教の神で、インド最古の聖典『リグ・ベーダのなかでは、雷霆神(らいていしん)であり武神である。

 ベーダ神話に著名なインドラが原名で、阿修羅(あしゅら)との戦いに勇名を馳(は)せる。仏教においては須弥山(しゅみせん)の頂上にある忉利天(とうりてん)の善見城(ぜんけんじょう)に住して、四天王を統率し、人間界をも監視する。

 

 初期の仏典にその名がみられ、ことに『大乗涅槃経(だいじようねはんぎよう)』「聖行品(しょうぎょうぼん)」にある雪山童子(せつさんどうじ)の説話は有名で、帝釈天が羅刹(らせつ)(鬼)に身を変じて童子の修行を試し励ます役割を演じている。

 

 密教では護世八方天(ごせはつぽうてん)および十二天の一として東方を守る。なお、東京都葛飾(かつしか)区の柴又(しばまた)帝釈天は、庶民信仰の寺として有名である。 [ 日本大百科全書(小学館) ]

 

※  「旧暦(きゅうれき=むかしのカレンダー)」で「8月15日」にあたる日は、秋のお月見の「十五夜」の日です。「十五夜」はかならずしも満月になるわけではないが、

  2011年は、6年ぶりに十五夜が満月の日になります。満月の日、地球をはさんで月が太陽のほぼ反対側にあるので、太陽が西に沈むころに、反対側の東の空に月があらわれます。札幌では、この日の月の出は午後5時23分です。 一晩中見える まんまるな月をながめてウサギを探してみましょう。

 

無財の七施

  1. 眼施:好ましい眼差しで見る。
  2. 和顔施(和顔悦色施):笑顔を見せること。
  3. 言辞施:粗暴でない、柔らかい言葉遣いをすること。
  4. 身施:立って迎えて礼拝する。身体奉仕。
  5. 心施:和と善の心で、深い供養を行うこと。相手に共振できる柔らかな心。
  6. 床座施:座る場所を譲ること
  7. 房舍施:家屋の中で自由に、行・来・座・臥を得させること。宿を提供すること。

            帝釈天像