申し訳なくて泣けた | 生きづらさの末に摂食障害になった主婦の回復記録

生きづらさの末に摂食障害になった主婦の回復記録

二児の母の日常を記録していきます。

テレビ東京の

家ついて行ってイイですか?と言う番組が好きです。




拒食脳にガッツリ支配されていた最中でもこの番組を観ると

自分ってなんて無駄な毎日を過ごしとるんやろって一瞬我に帰れたし


さらに

拒食脳から開放されたら人生ってきっともっとおもしろいんやろなぁっていう回復への希望が持てました。


そしてずいぶん回復した今も大好きな番組で

昨日も観ていました。


少年野球チームの監督になった方のお話があり

小学生たちの試合や練習の様子が映りました。


奥様もその野球チームのサポートをしながら両親で全力で子どもに愛情を注いでいました。


これは、子どもたちが小さかった頃の私ができなかったこと。


急に泣けてきました。

我が子たちに申し訳ないのと

自分はなんてもったいないことをしてきたのかという後悔で。


私が拒食症になりはじめたのは上の子が小学生、下の子が幼稚園の時でした。


みるみるうちに拒食脳に支配されていき

生活の中心は『食べないこと&過活動すること』になっていきました。


そうすると

子どもの行事も習い事も私の拒食行動ルーティンを邪魔するものでしか無かった。


加えて、もともとHSP気質だから集団やママ友付き合いがめちゃくちゃ疲れる。


授業参観も習い事の試合も

本当は子どもの成長を見守れる幸せなイベント。


でも私にとっては苦痛で迷惑なイベントでした。


楽しむなんてこと、全然できなかった。


子どもの行事や習い事の付き添いがあるといつもイライラして家族に八つ当たりし

現場に行くと過度に緊張していました。


息子が見にきて欲しいと言う試合でも

他のお母さんたちが何時間も応援しているのに私は『用事があるので』と嘘をつきすぐその場を離れていました。


その間に過活動や拒食ルーティンをこなし

(遠征で見知らぬ土地に行っても事前に過活動できる場所を探しておいて歩き回っていた)

終わる頃にお迎えだけいく、がお決まりパターンでした。


子どもたちの習い事には入会する段階で

「仕事のため(嘘)私は送迎しかできません。付き添いはできません」と必ず伝える徹底ぶりでした。


それぐらい生活は過活動に支配されていました。


だから

『子どもの成長を楽しむ』『子どもの気持ちに寄り添う』が全くできなかった。


それどころじゃなかった。

痩せたかった。過活動したかった。


なんてバカなことをしてきちゃったのかなぁ。

後悔しても戻らない日々。

ごめんね、娘よ息子よ。


拒食症から回復してきて

ようやく少し前からこのことに気づけました。


その分いまは子どもたちと過ごせる時間が愛おしくてしかたないです。