しれっと連絡してきた毒母 | 生きづらさの末に摂食障害になった主婦の回復記録

生きづらさの末に摂食障害になった主婦の回復記録

二児の母の日常を記録していきます。

年明け早々に母と話し合い

距離を置くと決めました。


お互い涙なみだの話し合いでした。




自分でも気づいていました。

摂食障害の大きな原因の一つが毒親ということ。


3年近くカウンセリングに通った精神科のドクターからも指摘されて

少しずつ認知行動療法を取り入れていました。


そんな毒親と距離を置くことは

予想以上の良い効果がありました。


私は高校を卒業して地元を出て以来、母とは他県に暮らしています。(父はすでに他界)

この一年くらいは連絡を取るのも多くて月一くらいでした。ラインで。


だからもともと物理的な距離は取れていたわけで


決別宣言をしたところでさほど変化はないだろうと思っていましたが、、、


見える世界が変わったと言えるくらい

日々が快適になりました。


毒親の害って、見えない鎖みたい。


だからこそ自分で振りほどく努力が必要だし

それがとても難しい。


実際、これだけ快適になった今も

まだ見えない鎖は残っていますから。


そんな母から先日着信がありました。


年明けにあれだけ深刻な話し合いの末

お互い「サヨウナラ」くらいの勢いで別れた母。


そんな母からの電話ということは

親戚に不幸があったに違いない!と思いました。


大好きな叔母に何かあったのかも!と悲しくなり電話に出ました。


母「旅行行くんやけどさー 


〇〇くん(うちの息子)おまんじゅう好きやろ。

お土産に買うて送るから

粒あんとこしあん、どっちが好きか教えて。」


は??

うっざー

まじうざー


つまりは孫に会いたくなってきたようでした。


確かに私はお正月の話合いの際に母に対して


私とは今後一切関わらなくていいけど

うちの子どもたちにとったらあなたはおばあちゃんだから

そこは今まで通りの関係をお願いしたい


と伝えました。


母もそれは承諾してくれたのですが、、、


数ヶ月ぶりに話したら

あまりに以前と全然変わらないトーンの母にかなりいらだちました。


あの人ほんま

私の苦しみ理解しとるんか?


いや、理解なんてできんわなー


だから毒親なんやもん。