2012年 3月11日 。大震災からもうじき1年経ちますね。

震災直後のボランティアの数は凄かった。夏ごろ瓦礫撤去や側溝の泥だし等が一時的に落ち着き徐々にボランティアの人数が減っていく。秋から冬にかけて災害従事車両の申請のゴタゴタでまた減っていく。年末、年越し、現在、大寒波。随分減ったんだよなぁ

TwitterアカウントのTLも固まったままの人も多い。


俺は何か力になりたくて、とゆーかなんで活動してんのかわからない。意味も理由もない。模索中。。

1年を通して色々な被災地に行った。行きたい場所もたくさんある。

行く場所場所で様々な被害、それに触れるとずーーーっと気になってしまう。 いつからか、手伝う場所を絞って活動するようになったんだ。


Twitterや現地での話しでボランティアはもういらない。出ていけなんての見たり聞いたり。色んなボランティアの人がいたんだな。

もう元通りの街にすることは難しいだろう。ボランティアがいなくなることが復興の証なのかもしれない。
顔馴染みになった被災者の方とは大震災で出会った。支援者仲間もそう。
俺の中でボランティア、被災者、とかの枠はもうない。仲間。友達。お父さん。お母さん。勝手にこうおもってる。


「次はいつ来てくれんの?」とか嬉しかったりする。案外地元より落ち着く。

んでね、1年を区切りに活動の見切りを付けたり、家や店を一緒に直して常に共にいなくてもいい常態になんとかなってきた所もある。
みんな頑張ってる。

顔馴染みになった被災者の方は本格的に再建、スタートするまであと1、2ヶ月。

支援者、ボランティアの人間と酒を飲み馬鹿話をして笑い時に怒り語りあう。

もう少しで動き出す。


その人は言った。
「もう少しこの馬鹿騒ぎに付き合ってくれ。みんなが来てくれなくなることが寂しい。」

色々合った。笑ったり、泣いたり、怒ったり。でもお互い本気だったからこの感情がでたんだと。
この人の手伝いが出来て良かった。

ボランティアねぇ。そんな気持ち全然ないけどさ、また来るし俺達まだ必要だろ?頼っていいんだぜ。


こんな出会いもいいでしよょ?



「元気だぜ。」 って伝わった。
「愛してる。」 って伝わった。。

3.11じゃなくて3.10に一周忌の前日に鎮魂の花火を打ち上げることに物凄く賛同できた。
そう、誰もこんなことになるとは思っていなかった最後の日常。
ちゃんと魂を鎮めてあげたい。


花火を打ち上げるための支援金をTシャツという形で販売し売り上げ全てを花火にします。

打ち上がりました!
届いたよ天国に。。






「俺達、元気だぜ!」って伝えたんだから下向いてないで前に進んで行こうよ。ゆっくりでもいいから。。


花火Tシャツにご協力してくださった多くの皆様。
鎮魂の花火、無事に打ち上がりました。
みんなの気持ちも届いてますよ!
ありがとうございました。

ダニエル

千年に一度の大震災。大津波!

それに伴った対人についてが一番の気になるポイント。亡くなられた方、未だ行方不明の方。

もう後一ヶ月ほどで一年。

見慣れた景色がどんどん変えられていく。被災地の至るとこるで瓦礫は撤去され護岸工事は進んでいく。





またいつくるかも知れない津波対策。確かにこれは大事だと思う。どれだけの高さの津波が来るかは誰にもわからない。
海岸沿いには新たに7~10mほどの新防波堤が出来るらしい。
スゴい高さだ。
南相馬の海岸なんかはサーフィンでは有名なスポット。南相馬に限らず海水浴場は太平洋沿岸にたっくさんある!
今は白い砂浜は何処へ行ってもない。それはわかる。護岸工事は超防波堤新築。
刑務所のような分厚いコンクリートの壁が太平洋沿いに東北地方を縦断していく。
海を眺めることも出来なくなるのかなぁ。海水浴も出来なくなるのかなぁ。砂浜を整備することはないのかなぁ。
見慣れた四季を楽しむことも出来なくなるのか?夏、海、スイカとかね。

安全第一。でも造ったものは簡単な物じゃないしね。
何をもって復興とゆーのか?被災者の方達の生活第一だけどその土地の景観。自然。こーゆーのも何とかしたいなぁー。

刑務所のように囲われる太平洋側の東北。これからだしもう一度見直したい。

色々考えた今日この頃。