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イングランド・プレミアリーグ学

イングランド・プレミアリーグを色んな角度から分析していく学術的ブログ☆

昨年9月、イタリアの小さな巨人がプレミアリーグへ帰ってきた。


ジャンフランコ・ゾラ、イタリア・サルディーニャ州オリエーナ出身。


最初に彼を見たのはチェルシーに所属し、ハッセルバインクとの2トップを組んでいる姿だった。


ナポリやパルマでプレーした後にチェルシーへとやってきたのだが、その頃のチェルシーは今とは違い優勝争いには全くの無縁だった。




ハッセルバインクがゾラの絶妙なスルーパスでDFの裏へと抜けだし、冷静にゴールへと流し込む。


ゴールを決め自慢げに胸を張るハッセルバインクに飛びつくゾラの姿は今も鮮明に残っている。


更に彼の十八番でもあるFKはまるで魔法にかけられてしまったかのように言葉を失うことがしばしばあった。


クリスティアーノ・ロナウドのFKも確かに凄いが、彼の場合は“蹴らせると危険”という表現がふさわしいだろう。


しかし、ゾラのFKは“蹴らせたら最後”と言葉の上での違いに気付いてもらえるだろうか。


壁と壁のちょっとした隙間を通す技術はよく「針に糸を通すようだ」と表現する事が多いが、ゾラの場合は「ガラスに光を通すようだ」と表現できる。


つまり、物質的には通らないものが、何か不思議な力によって通るということだ。


それは薄いガラスの時は直線的な光を描きゴールを貫き、厚いガラスの時は光は屈折しゴールへと吸い込まれていくということも意味している。


個人的に度肝を抜かれたFKを蹴った選手ベスト3を挙げるとするなら、ロベルト・カルロス、ジェイ・ジェイ・オコチャ、そして、ジャンフランコ・ゾラである。


この3人の中で誰が1位かとする議論は愚行にしかならないので控えるが、その他にも多くの名プレースキッカーが世界には存在するということを書き添えておきたい。



ゾラの現役時代の話しはさておき、監督に就任してからの仕事ぶりはどうだろうか。


成績不振によりアラン・カービッシュリーが更迭された後にハマーズを引き継いだのだが、就任直後の2試合はチームにもよい刺激があったのか勝利をおさめている。


しかしその後は勝ち星に恵まれず苦しい時期が続き、ゾラの監督としての経験の浅さがたたかれることもあった。


試合中はずっと無口で、選手に全く指示を与えず、ムスッとした表情でベンチに座っていたのが印象に悪かったのだろう。


だがここ何試合かはカールトン・コールが覚醒の兆しを見せ始め、問題児ディ・ミケーレがチームへの献身的なプレーを見せるなどで調子を上げてきている。


先日行われた対アーセナル戦でもアウェーながら0-0と引き分けに持ち込み、勝ち点1を持って帰った。


そういった上がり調子であるのはゾラの存在のおかげということもあるかもしれないが、ゾラの指導の成果とは少し言い難い。


おそらくはゾラの下に付いているスティーブ・クラークとケビン・キーンという二人の曲者の手腕が非常に大きいのではないだろうか。


経験豊富なこの2人の指導によって今ウエスト・ハムは組織化され、ゾラの人柄によってチームはまとまっている。


ゾラはどちらかというと選手とのコミュニケーションをよくとり、チームの雰囲気作りに気を配っているのだろう。


もちろんそれも立派な監督の役割であるし、監督としてはもっとも大事な素質なのかもしれない。


チーム戦術や選手の起用法などはこれから監督としての経験を積んで身につけていく事ができるし、今は自分のできることを全力でやり、優秀なコーチに任せても全く問題はないのだ。


ゾラはウエスト・ハムのシンボルでしかないと批判されることはこれからもあるかもしれないが、ゾラの穏やかな笑顔の下に選手やコーチが集まり、チームの雰囲気がよくなっているのであれば、シンボルであろうが何であろうが彼は立派な監督である。


体格としてはとても小柄なゾラだが、その存在感はまさに巨人と言えるのかもしれない。















「BIG4に割ってはいるとするなら、それはアストン・ビラだろう」


プレミアのドンでもあるサー・アレックス・ファーガソンがそう発言したのは決してお世辞ではなかった。


リーグ戦ここまでチェルシーには敗れたものの、ユナイテッドとリヴァプールには引き分け、アーセナルに対しては勝利さえおさめている。


過去6シーズンを振り返ってみると、03/04シーズンに6位という順位を獲得しているものの、02/03シーズンは16位、04/05シーズン10位、05/06シーズン16位、06/07シーズン11位と全くぱっとしない順位が続いている。


ところが昨シーズンは06/07シーズンから指揮を執りはじめた知将マーティン・オニールの戦術がチームに浸透し、目覚ましい変貌を遂げ6位という納得のいく順位で終わった。


そして、今シーズン先程述べたとおり彼らはまさに4強時代に終止符を打とうとしている。


それどころかリヴァプールでさえ獲得できていないプレミアリーグの賜杯に手が届きそうな勢いである。(リヴァプールはプレミアリーグに以前のフットボールリーグ1時代に最多優勝回数を誇る)


では数シーズン前まで下位から中位辺りをうろついていたアストン・ビラがここまでの力をつけた理由はどこにあるのだろうか。


それを読み解くことによってオニール監督の目指すサッカーが見えてくる。


まず一つ目の理由は、駒の豊富さにあるだろう。


DFとMFに関しては選手層が薄いと思われるポジションが見当たらない。


ケガをしているかどうかはさておき、


センターバックにはザット・ナイト、ラウルセン、カーチス・デイビス、


右サイドバックはクエジャル、ルーク・ヤング、レオ・コーカー、


左はバウマ、ショーリー、


セントラルMFにギャレス・バリー、ペトロフ、シドウェル、


右にミルナー、ガードナー、


にアシュリー・ヤング、アグボンラフォール、


そして唯一層の薄さを感じていたFWにもエミール・ヘスキーがこの冬加わり、カリューとヘアウッドが控えにまわるはめになっている。


今挙げたポジションと各選手はそれぞれの適正ポジションであって、多くの選手はいくつものポジションをこなしている。


例を挙げるなら、ルーク・ヤングは本来右サイドバックを生業としているが、バウマのケガもあり今は左サイドでプレーすることが多い。


更にアグボンラフォールもFWとして快足をとばしているシーンを今シーズンは多く見ることができる。


このように今のアストンビラは誰が先発しようがほとんど変わらないチームプレーが可能であり、ケガや出場停止などにより誰かが離脱してもダメージはほとんど無いのだ。



そして、2つ目の理由として挙げられるのは、組織的な守備によって安定性が生まれたことだ。


先ほどの中には名前が挙がらなかったが、今シーズンから加入したGKフリーデルの経験値によってもたらされた安定力はとても大きい。


MF陣の囲い込みから始まる守備の連携は他のチームと比べても群を抜いて整備されており、例えBIG4相手でも大崩れしない。


これは知将オニールが綿密な指示を与え、チームに植え付けた守備意識であり、その安定した守備があるからこそA・ヤングやアグボンラフォールといった快足を活かした速攻が武器になっているのだ。


チームを作る時にまずは守備の設計からとよく言われるが、まさにオニール監督はその鉄則通りチームを作り上げ、今の順位までチームを引っ張り上げたと言える。



更に3つ目の理由として、攻撃のバリエーションが豊富であることが挙げられるだろう。


A・ヤングとアグボンラフォールの快足に加え、カリューやラウルセンの高さを活かしたセットプレー、更にバリーやシドウェルの2列目からの飛び出しなど、ここまででも様々な得点シーンを目にしている。


残念ながら先日行われた対ウィガン戦、ウィガンの好守備もあり0-0の引き分けに終わったのだが、ヘスキーとアグボンラフォールのコンビネーションや、途中出場したカリューの高さ、バリーの飛び出しなど特に後半は2,3点入っていてもおかしくない攻撃を見せていた。


中位のチームによくある誰かに頼りすぎるが故にそこを潰されると攻撃の手段がないというようなことはアストン・ビラには起こってない。



以上のように個人的には3つの理由がアストン・ビラの躍進の理由に挙げられると思うのだが、ビラサポーターはどう思われるだろうか。



では最後に、今後ビラが更に上へ順位を上げるためにどのような課題が残されているのかを一つ挙げておきたい。


それは、例え今述べたように駒が豊富なアストン・ビラでさえ、絶対に替えの利かない選手が存在するということだ。


A・ヤングギャレス・バリー


A・ヤングはビラの特攻隊長的な役割があり、彼が左サイドをドリブルでえぐり、センターへクロスを挙げるという攻撃はビラにとって最大の武器であることに間違いない。


先程述べたビラ躍進の理由を全て覆すことになりかねないが、彼が居ると居ないではその攻撃力は半減すると言ってもいいぐらいだ。


それはウィガン戦にも如実に表れ、攻撃の物足りなさを感じられずにはいられなかった。


攻撃のバリエーションは豊富だが、決めてのストレートを欠いた状態で、ジャブを放つだけではBIG4を沈めることはなかなか難しいだろう。


そしてもう一人のギャレス・バリーは、彼は単なる一人のMFではなく、キャプテンでありビラサポーターから愛される、いわばビラの象徴なのだ。


そんな彼がケガなどで戦線離脱を余儀なくされることがあれば、チームの士気に大きく影響することは容易に想像がつく。


イングランド代表としても定着した彼が、そうそう替えの利く選手ではないことはおわかりいただけただろうか。



このような課題を上手くビラが乗り越える事ができるなら、当面の敵はディフェンディングチャンピオンのみなのかもしれない。


アストン・ビラというチームが数年以内にリーグの賜杯を手にする日が来ることを楽しみにしたい。








繊細なトラップ、変幻自在のドリブル、絶妙なスルーパス、そして、豪快なシュート。


サッカー界においてブラジルの存在は圧倒的な攻撃力を意味する。


そんなブラジルを率いて2002年日韓W杯を制したルイス・フェリペ・スコラーリ監督をチェルシーのアブラモビッチオーナーが呼び寄せた理由は、チェルシーのブラジル化である。


チェルシーがここ数年で力をつけたのは、わざわざ明言する必要もないかもしれないが、ジョゼ・モウリーニョという監督の存在が大きい。


そして、モウリーニョが率いていた時のチェルシーのサッカーは、“試合には勝つがつまらない”と揶揄されることがしばしばあった。


厳格な規律と選手の動きにはっきりとしたルールがあり、チームはよくまとまっていた。


その頃のチェルシーは堅い守備のチームであったことは確かだが、両サイドのロッベンとダフのドリブルの切れ味は鋭く、ドログバの決定力はあたかも新人類の発見かと思ったほど驚愕したことを覚えている。


更にランパードのタフネスさと攻撃を牽引するリーダーシップには英国フットボールに脈々と受け継がれる伝統を感じ、エッシェンの試合に2、3人出ているのかと思ったほどの運動量には脱帽させられた。


そして、マケレレのフェアな守備とトレードマークの笑顔には爽快ささえ覚えたし、両センターバックのテリーとカルバーリョと守護神チェフの守備力がその当時世界最高だったことは誰の異議も受け付けないだろう。


そう、モウリーニョ時代のチェルシーは十分に魅力のあるチームだった。


確かにもっと多くの得点を見たかったが、得点の少なさ故につまらないと口々に言うのはいささか軽率ではないだろうか。


彼らは決して得点をとりたくなかったわけではない、ただ勝利に対して生真面目だったのだ。


観ている人をを楽しませるのがサッカー選手の仕事だという人もいるかもしれないが、シーズン終了時に大きな喜びを与えることも彼らの大切な仕事である。


もちろんこれは各国リーグによって求められるものが違うということを十分に理解している。


セリエAのように、内容は悪くても一点を守り抜き、試合に勝てば良しとする結果が求められるリーグ。



リーガ・エスパニョーラのように、たとえ試合に負けたとしてもより多くの得点を奪い合う、楽しめる内容が求められるリーグ。



プレミアファンの方にはわかってもらえるかもしれないが、プレミアリーグは決して結果だけ、内容だけが求められるリーグではない。



プレミアリーグはいわば内容の伴う結果が求められるリーグなのだ。


そういった意味で結果重視主義者であったモウリーニョが、結果重視主義サッカーを展開するイタリアへ行ったのは至極当然の事だったのかもしれない。


そして、その後任を任されたのがアブラモ・グラント監督だったのだが、彼はリーグ2位、チャンピョンズリーグ2位と“”という称号に終わってしまいすぐに解雇されてしまった。


今思えばアブラモビッチオーナーの迷走により調子を落としたチェルシーを途中から率いて、準優勝まで耐えさせた彼の手腕は世間一般が思うほど低くなかったのではないだろうか。


確かにグラント時代は、モウリーニョがチェルシーに残した遺産を使って戦っていた感は否めないが、それでももう1年のチャンスを与えるべきだったのかもしれない。


こうして内容重視主義者のオーナーの意向により、チェルシーはブラジル人監督によってチーム改革を求められたのだが、今後どうなるかはさておき、ここまでの内容を見る限りチェルシーのブラジル化は明らかに失敗である。


確かにアネルカを中心に得点を多く奪っており、それだけを見ればチームの改革は成功のように映る。


得点を奪わないチームから奪おうとするチームへ意識の改善がなされたのは事実だ。


だがここで一つ言わせてもらいたいのは、チェルシーはバルセロナではないということだ。


堅固な守備から鋭い速攻へ転じ、脅威の決定力を攻撃の魅力としていたチームが、今では守備のほころびが見られ遅鈍とさえ感じられる攻撃をしている。


デコの加入や監督の指示によりチェルシーは以前よりもパスをよくまわすスタイルへとシフトしたことがこの要因ではあるが、効果的なパスの数が減り、自陣深くまで引いて守るチームに対して全く対策がなされていない。


いやむしろ、パスをまわすことによって相手に自陣へ戻る時間を与え、守備陣形が完全に整うのを待っているようにさえ思う。


先日行われた対ミドルズブラ戦でもわかるように、結果は2-0と勝ったのだが、その得点は両方ともセットプレーからの得点だった。


その試合、チェルシーの攻撃のリズムが見られたのは、後半18分ミドルズブラがシャウキに替えてトゥンジャイ、マーロン・キングに替えてアフォンソ・アウベスを入れ、攻撃の姿勢を見せてからで、ボロが守備に重点を置いていた前半にはチェルシーにほとんど得点のチャンスはなく、面白味のかけらも感じられなかった。


つまりチェルシーは内容を求めるサッカーをするためにスコラーリを呼び寄せたというのに、格下に負けず、結果がついてきてほっとしている状態にあるのだ。


こんなことではモウリーニョ時代のチェルシーの方が数倍楽しいサッカーを観させてくれていたし、少なくとも試合中に王者の風格が漂っていた。


ではチェルシーがブラジル化に失敗した原因はどこにあるのだろうか。


一つは、チェルシー内にあった厳格な規律が緩くなってしまったことが挙げられる。


チームの和を乱さない為にはある程度の規律が必要であることは疑う余地も無い事だが、スコラーリの場合はさすがブラジル人、ラテンのノリなのかもしれないがいささか緩い。


それは先日MFのミケルが飲酒運転で捕まってしまったのにもかかわらず、ボロ戦に普通に先発していたことからも伺える。


その時の様子やミケルのいい訳などは決して知るよしもないが、常識的に考えて飲酒運転はやってはいけないことだし、それに対してなんのペナルティも課さないのはどうかしている。


次に挙げられるのは、エッシェンの長期離脱である。


エッシェンほどのユーティリティプレイヤーを欠くということは、3、4人の選手を一気に欠くということに等しい。


DFからMF、求めればFWまでこなしてしまうかもしれない選手がケガをしてしまったのは、確かにスコラーリにとって大きな誤算だっただろう。


モウリーニョ時代のサッカーもエッシェン無しには完成しえなかったというのもまた事実である。


そしてもう一つはドログバの士気が明らかに低かったこと。


モウリーニョ時代もグラント時代もドログバはチェルシーの絶対的エースだった。


両監督とも彼を信頼していたし、ドログバ自信もそれを誇りに思っていたことだろう。


しかし、今シーズンケガから復帰してみれば、そこには彼のポジションは無かったのだ。


監督との信頼関係も築かれていない状態の中で、ライバルのアネルカは順調に得点を重ね、自分は試合にも出れない日々が続けば、士気が下がるのも納得がいく。


しかしそんな彼の士気を高めるのが監督の重要な仕事であるのに、スコラーリはおそらくあまり彼とコミュニケーションを取っていなかったのではないだろうか。


ドログバ自身のコンディションも上がりきっていなかったということもあるだろうが、彼に自信を取り戻させるためにスコラーリが何かをしたとは到底考えにくい。


というように他にもいくつか理由はあるが、結局の所オーナーも監督もチェルシーのことを一つも理解していなかったが故に、無理なブラジル化を計り、失敗してしまったのだ。


最後にあえてもう一度言うが、チェルシーはバルセロナでなければ、ブラジルでもない。


チェルシーはチェルシーなのだ。


これにいかに早くオーナーや監督が気付き、チームを再修正していけるかによって今シーズンの内容と結果が大きく異なってくることだろう。


ぼやぼやしていると赤い悪魔がリーグを支配する、1強時代になりかねない…