「ものみの塔」とは何ですか | 西方十万億土乃皇命

西方十万億土乃皇命

A wanderer former JW

What is the difference between Jehovah's Witnesses and others?
They are the bad Pharisees of the 21st century.

"Vanity of vanities, all is vanity."【King Solomon】

"The world is fake and vain"【Prince Shotoku】

いつもみなさんの投稿を読ませて頂きましてありがとうございます

「ものみの塔」という団体だけの問題を云々することの空しさを感じ、数年間、読むばかりではありましたが

それでも、自分からこの宗教の影響が去ってはおらず、かえってひしひしと迫ってくる状況にあります。
それは精神面でも肉体面でも避けられず、組織に交わりはしないものの、忌避はされていませんので、周囲からは良いつもりで、関わってこられます。

とくに最近では、戸外の伝道ができないことから、手紙などの攻勢を受けることがあり、送り手と受け手の想いの隔たりの大きさには嘆息せざるを得ません。

それは「証人」を自称する信者らが、他の意見には耳を閉ざすところから来るもので、そらがどれほど傲慢な態度であるのかをまったく自覚させない洗脳的「指導」に原因があることを知る身なので、よけいに辛いものがあります。

この「エホバの証人」という宗教信者と、それを実質的に統括している「ものみの塔」なる宗教団体について、わたしが思う事を書かせて頂きますと・・

普通に考えて
「この宗教は罪深い」としか言えません。
子供への暴力犯罪、大人への忌避での精神犯罪の数々

それらを「キリスト教」の名の下に行って来たのは、紛れもない事実で、いまさら長老、また支部や統治体がどんな言い訳をしようと、打ち消し難く積み重なってしまっております。

もはや一般社会の誰に対しても言い逃れできないでしょう。常識外れも甚しく、ただ、情報統制された信者だけが、集団から脅されて命惜しさに加担しているだけの姿をさらします。しかし、もう社会から卑しめられる形で孤立しています。

この宗教は、巧妙な洗脳悪の暗部として、歴史の教科書に載る典型例の中でも、輝かしい代表格にはなれるでしょう。

しばらく後に、人類は過去を振り返り、聖書を使ってこれほどの悪業があたかも良いものとされた事に驚かされるでしょう。

子供を打ち叩き、大人を忌避する。
こんな程度の低い「宗教」の本質を見抜いて、賢く行動することの方が、本当に人間らしく生きるためには必須になっています。

もう、この宗教は沈みゆく大船であり、その行先は「楽園」のはずでしたが
多分、救命ボートは足らず、船長以下の船員は情報を隠し続けて、それが助かる方法たからと、乗客には留まることばかりを吹聴するのでしょう。

そんな大きな悲劇が目の前で進行していますが、中の人は聞く耳がないようです。
人間というものは、そこまでも幸せを求めて不幸になる生き物なんですね。

他の人々より幸福になったつもりで、実態はと言えば、気位だけ高い傲慢人間であり、それが「ものみの塔」の指導の結果です。

どうして、その指導が成功してしまったかと言えば、人間に共通する欲望に適ったからで、死にたくない、偉くなりたい、自分は清い人間でありたい、仲間が欲しい、などを一気に満たせるからでしょう。だから、信者にはそれが「真理」にならざるを得ません。

しかし、それが本当に「真理」かどうかは別問題なのですが、そこは知ろうとしません。
だから、他の意見を無視します。

これは、ただのわがままなのですが、統治体からして極端なわがままで、支部、巡回、長老も自分たちの欲望の奴隷でしょう。

ものみの塔という団体は、巨大な利権の塊であり、それは統治体から末端まで同じです。
聖書はその言い訳であり、やっていることは「エホバ」と名付けた神に、「好かれるか嫌われるか」という、「宗教遊び」に過ぎません。

いまでは、すっかり俗化してしまい、閉鎖社会の中で卑近な話題の動画を見て、新しい歌を覚えて、寄付をして、他人を裁いて、ほぼそれで終わりです。

「二十世紀のエホバの証人」がこれを見たら、間違いなく落胆するでしょう。
少しずつの変化に慣らされ、騙されたことに、今の証人は気付けないか、気付きたくもないからです。

これほど空しい実情にありながら、信者は自分の感覚を働かせて判断することを放棄しています。統治体がそれをさせまいとしているからであり、人間が人間であろうとすることに罪悪感を抱かせようと画策してきました。

何のためですか。
自分たちの支配体制の維持のためであり、彼らの眼中には、人々の人格はもちろん、神さえありません。これは断言ができます。
というより、事例がありすぎるのです。