考えごとをしながら夕飯のニラ玉の卵を、割っては殻を捨て割っては捨てるうち、ゴミ袋の上で卵を割っていた。我にかえって唸りながら覗き込むと、卵はコーヒーかすや人参の皮の間をとろとろと滑っていく。救えないまま、新しい生ゴミにしてしまった。

 

そういえば『夏物語』にも卵の場面があった。そしてわたしが卵を割りながら考え込んでいたことも、思えば卵のことだった。

 

性に関すること

子どもを持つこと

とてもデリケートとされることで書きづらく、わたしが女であるが故にわたし自身のことを云々されるのも嫌なので、女性は妊娠云々とは関係なく産婦人科に行くことがある、と前置きしておいて、そしてそれはエネルギーの必要なことだ、とも言っておく。

できるならお世話になりたくない場所で、だからこそ、先生がお節介であることが心強さにもなる。

 

ちょっとした不調がどんな不調かわからないために不安になり、ふいに訪れてみると、あの長い待ち時間の後、気付けば様々な検査を受けることになっていて、締めには先生の講義を受けていた。35才からは高齢出産と言われるなか、年齢が年齢だから、そして子どもがほしいのは本当だから妊娠の話にもなって、大敵はストレス、ダイエット、煙草は言語道断!生理や排卵の仕組み、基礎体温をつけましょう…

 

帰ったら誰かと笑い話だ、検査はお金がかかって堪らないなあ、なんて初めはニヤニヤ聞いていたのが段々笑えなくなったのは、先生と看護婦さんの目のせいだ。

一体このひとは、今まで何人の女性に会い、喜びとかなしみとを見てきたのか。妊娠したいのにできない女性たちをどれほどは救い上げ、どれほど救えなかったのか。

 

わたしはじんとかなしくなってきて、未来の自分がどんな姿を見せることになるか全然分からない、先生だって分からないのだ、と思い至る。

33才の、妊娠を望んでいる女性に今先生ができること。

 

そもそも妊娠云々の前に本人の命に関わる病があることもある。だから検査をする。月のものがちゃんと来ないこともある(「ストレスはないですか?」)、何もかもが健やかでも、相手のいないこともある(こればっかりは先生もどうしようもない。でも「喫煙者はやめなさい!」奇形した精子のイラスト付き)。相手が在っても協力が得られないことも、得られてもどうしても妊娠しないことも、あるだろう。子どもは授かりもの、“運みたいなことだ”。

 

運だけど、そうかもしれないけれど、同時に運ではない、確かなからだの巡りを女性は知っている。何年も何年も毎月やってくる痛みと共に付き合っているこのからだは、妊娠の可能性がある日と無い日をある程度教えてくれる。一ヶ月のうちにその可能性のある日数は、生理の日数よりも短い数日間。

 

自分のからだの奥で卵子が生まれ、24時間も経てば死んでいく。来月までもう生まれない卵。

 

ただ子どもがほしいだけなら、可能性のあるその日に誰でもいいから抱き合えばいい。けれどもそんなわけにもいかなくて、もしくは他でもない、あなたの子が欲しいばっかりに。あなたも欲しいだろう、と願って。

 

例えばそのやるせなさを、男性はどのくらい知っているのだろう? どこからが運なのだろう?

 

そんな、経験したことのない苦しみをその目の奥に見るように、いつしかわたしは黙り込んで診察室の椅子に座っていた。

 

この書きづらいことを、

書くだけの知識も経験もなく、あっても考えや感性の足りないわたしでも、役者として人間のことは見てきたつもりで、もちろんこれもまた「つもり」でしかないのだけれど。

 

全然笑えない真実。

そんなことをうんと考えて、自ずと表現されるくらい考えて、わたしは舞台に立ちたいのかもしれないな。役者で在る前に一人の人間だと、そんな風に思ってわたしは舞台に立ってきたけれど、では一人の人間として、どれほど女のことを考えてきただろう? 命を生み出す命としての自分を、女で在るが故にしなければならない選択を、もしくはその選択を無邪気に求めてくる社会を、意識したことがあっただろうか。

 

女優という言葉の妙に女らしい響きがわたしは嫌いだけれど、そこに女として女の生き方を考える責任が含まれているとしたら、わたしは初めて、女優になりたいと思った。

 

夕飯の時間が、近づいていた。

 

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『夏物語』川上未映子 文芸春秋 2019年