冷えるな、
と、冬の朝の日課であるお湯を沸かしながら、なつかしい気持ちがした。David,
あれは夏のことだったのに、どうしてあんなに冷えたのだろう、ああそうか、オーストラリアは冬だったのか。

降るより前にわたしは去ってしまったけれど雪深い町だったのか、その立派な家の玄関は二階にあって、ガレージから入ってすぐの地下のような(しかし一階の)部屋がわたしとクリスの寝室だった。もう10年以上、母に叱られてやっと起きていたわたしが、あの10日間余り何を合図に目覚めていたのか。クリント・イーストウッドのポスターを背にベッドを抜け出ると、スニーカーを手に、セピア色の写真が掛かる階段を忍び足で上がった。この家に繋がる、もう世を去った幾組かの花嫁と花婿たちがこちらを見ていた。
玄関へ出て、新聞の捜索。それが朝一番のわたしの仕事。

捜索、が困難で、来てすぐの頃Davidに助けを求めたら、植木のなかかそんなとこを見てごらん、と言うので再度出向、発見。筒上に巻かれた新聞は、レンガ敷きの階段の途中や、草のなか、日々あらゆるところに転がっていた。一体どんなひとがどんな風に投げ入れていたのか、早く起きて待ってみればよかった。

新聞を獲得すると、絨毯敷きの廊下の隅に靴をちょこんと並べ、そのままキッチンへ向かう。茶みたいなグリーンみたいな色のセーターを着たDavidの後ろ姿があって、3人分のお昼のサンドイッチを作っているか、朝食の果物を切っている。

おはようシホ、今日はどれにする?
ガラス瓶のなかの、色とりどりのティーバッグ。English Breakfast, Green Tea, 赤やブルーの果物のお茶たち。ケトルがカチッと時を知らせた。

テーブルで新聞のラップを解いて、項目ごとにばらしていくのが次の仕事。必ずふたりで外国の天気を見る。

クリスとクリスのおばあちゃんが現れるのは朝が起き上がる頃で、三種類のコーンフレーク、数種の果物を好きに取って、牛乳とヨーグルトをかける、にぎやかな朝食。

おばあちゃん、と言っても若々しく陽気なBは、日々働きに出ていた。あまり出会わない上に、いつまでもうまく発音できなかったので、わたしは最後まで彼女の名をちゃんと呼んであげられなかった。
ただ生理になったときだけ、辞書を手に彼女を探し、キッチンで何かしていた傍まで行って、黙って指で示した。大丈夫? と問うDavidに、あなたは構わないでOKという感じで、彼女はただ頷いて、導いてくれた。


最後に見たDavidはいつものように物静かで、目がぎゅっと赤くなっていた。空気がひんやりとして、あたたかいお茶のやわらかな、ふたりの朝の、おわり。
文通してしかるべきなのはクリスとわたしだったし、わたしは祖父母と暮らすクリスのためにこの家に招かれたのだという気がしていた。わたしは彼女が好きだったし嫌われてもいなかったと思うけれど、どうしてかいつだって、海を越えた文通は途切れてしまう。

異国の女の子が去った次の朝、Davidは自分で新聞を取りに行っただろうか。やっぱり日本の天気を見たかな。想像すると切ないから、休日だったならいい。でも結局、穏やかな朝のキッチンに現れて、新聞がどうしても見つからないの! と報告したシホを思い出したかな。
「日本では、日曜日にも配達があるの?」


違う言葉を母語に持つわたしたちであったのに、あの冬の朝は妙にこころの奥でしんと澄み、何の歪みもなかったようで、まるでどこにもない言語があったみたいだ。

思えば人生のなかにちらほらとそんな、男性とふたりのささやかな日々があった。David、祖父、兄…祖父と過ごした早春は言葉さえなかったようだし、わたしにとって兄はなぜだかどこか神聖だ。
大きないさかいもない変わりに大きな恋慕もなく、時折小さな違和感を抱えてもそれは雨で溶けてしまうくらいささやかで、ふたりの間に流れる「とき」を眺めるような日々。小さな喜びの底に大きなかなしみが横たわって、だからこそ触れる日々はやさしく漂っているような。


ずっと使っていた保温ポットを割ってしまったので、ただ一回分のお湯を沸かして白湯とお茶にする。この空気の冷たさが、このぬくもりを伝えるのだな。この世界を航り切るには、安心が必要だ。


開かれることを嫌がるように少し軋む、ガラス窓を開くと、ひんやりとした空気と共に、掴めそうに強い朝の光が部屋を洗う。


こころから泉が湧くように、言葉にするならばわたしは彼らに
I love you.
と言える気がする。