嵐の夜、停電した部屋で、両親の結婚式のときの蝋燭をつけて、えんじ色のラジオをみんなで囲むのが好きだった。なぜかケーキを食べていた記憶があるのは、誰かの誕生日の翌日だったのだろうか。

今は、広島に嵐が来ると落ち着かない。電話すれば、「ねぇ、絶対逃げてね」と、どうしようもない言葉が口から出てくる。帰りたいと思う。

故郷と引き裂かれるこの気持ちを持って、本当にみんな生きているのだろうか。こんな気持ち知らない方がいい。

あるとき突き詰めてみたら、演劇より広島の方が大事だった。ヒロシマを守るためなら演劇をやめられた。演劇はわたしを守ってくれなかった。女優の糧なんか全然いらないから、しあわせがよかった。



ヒロシマを舞台でやるならば、大きな覚悟が必要で、誰かを傷付けるくらいならやらない方がずっと良いと、新人の頃泣きじゃくった。
でもそんなの東京ではきっと大げさで、コロナみたいに人体を傷付けるわけじゃないし、誰かが死んでしまう可能性もないし、あるとしても確率はずっと低くて、きっとそのひとは、そもそも自分から劇場に来ないだろう。正直に言えばわたしはヒロシマを描いた芝居を観に行かないし、来るひとより来ないひとに理解を示すだろう。

それでも舞台でヒロシマをやるならば、ヒロシマを越えた何かを表現したくて、つまりちゃんとまずヒロシマを越えたくて、迂回せずに越えたくて、そうしてみたら結局、越えるというよりは潜って、しんとした場所に出会う気がする。

家族を失うかなしみとか、孤独とか空虚とか、言葉にしたらあまりにもありきたりな真実の場所。


いま芝居をすることがどういうことなのか、よくわからない。わたしの家族は観に来ないと思う。来ないでいいって言うかもしれない。

でもわたしはまだ東京に居るから、ここでやるんだと思う。

「やる」っていうのはやっぱり、なんか信じているからなんだろう。わたしが見てきた東京夜光の素直さみたいなものを、なんとなく信じているんだろう。

わたしに信じられることを、あなたにも信じてほしいと言いたいのではなくて、信じられないならばわたしがまずやらないし、わたしにはその前例まであるから、わたしが信じるこの場所で、あなたに訪れてもらう場所を、つくってみようとしているのかもしれません。
今のわたしは演劇がすべてではないから、自分のことを信頼して、お知らせできるのかもしれません。

あなたがそこを、訪れるかどうかはわからない。でもわたしはまだ東京に居て、舞台をつくっています。



MITAKA“Next”Selection 21st
東京夜光「BLACK OUT」
作・演出:川名幸宏


2020年8月21日(金)~30日(日)
三鷹市芸術文化センター 星のホール
 

https://mitaka-sportsandculture.or.jp/geibun/star/event/20200821/

 

 

東京夜光

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