「じゃじゃ馬ならし」に関わることになり、最近は現代劇が多かったせいかなかなかシェイクスピアに入り込めずにいた。戯曲を放り出して久しぶりに「恋に落ちたシェイクスピア」を観始めたら、舞台は、疫病で12週間劇場が閉まっているロンドン、倒産しそうなローズ座だった。

クリストファー・マーローとシェイクスピアの、能力を持った人間同士の世界だとか、恋によって感性が鮮やかになる様子、幸せすぎてこわい気持ち。初めてシェイクスピアを読んだときには知らなかったことばかりだ。わたしはロミオとジュリエットの恋愛を、軽んじていたかもしれない。

ちなみに初めて読んだシェイクスピア、「オセロー」は、初めて立った舞台でもある。去年の夏には夫だった草野峻平くんの、召し使いの小僧役だった。

あれから13年、カーテンコールが気持ちいい、というのをわたしは経験したことがないのだけれど、端から見るとどうしてあんなに気持ち良さそうなんだろう。劇場が開いて初めてのカーテンコールなんて、条件としてすばらしい気持ちがしそうだが、本当のところはどうなのだろう。


映画のなかで何度も繰り返される台詞を、わたしも繰り返してみる。

All turns out well.
すべてうまくいく。
知らないけど、

It's a mystery.
不思議なことに。

決して立ち入ってはならない場所があることを畏れ、許された舞台のうえで、じたばたしたい。


根拠のない自信で、演劇をはじめた。できないことに気付くのに5年かかり、できなかったことができるようになり、まだできないことがはっきりとわかるのに更に8年かかった。

稽古が近くなるとアルバイトのミスが倍増し、薄情になっていく。申し訳ない、これじゃ友だちなくなるぞ、と落ち込みながらもこころは芝居に向いていて、落ち込みきらない抜け抜けとした自分がいる。憧れられるもの、どんなにくたびれてもどんなにばかにされてもやりたいと願うことを、舞台のほかに見つけられない。芝居だけがわたしを操ることができる。
なぜか、わからないけれど。